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2024年4月3日水曜日

山口瞳『家族(ファミリー)』

田中小実昌のエッセイに、この本のことが書いてあった。

山口瞳は昭和5年から昭和10年まで川崎に住んでいた。その頃、山口の母は幼い彼を抱いて南武線の土提に上がり、電車に飛び込んで死のうとしたことがあったという。「南武線」「土堤」というワードに私は反応した。もしかしたら、それは尻手駅の近くではあるまいか。

私は大学時代、川崎でアパート暮らしをしており、尻手はその最寄り駅だった。俄然、この小説が読みたくなった。

ところが、図書館に行っても、山口瞳の本がない。土浦のれんが堂書店に行っても見つからない。そこで、困った時のアマゾン様である。検索してみると古本が出ている。81円の本を230円の送料を使って取り寄せた。

山口は府中競馬場で川崎時代の同級生、石渡と偶然再会する。それが川崎での幼時体験の記憶を辿るきっかけとなる。1年間の父の不在。母親は自分を抱いて無理心中を図ったようだ。石渡と4月の6日間、川崎競馬の全レースの馬券を買いながら、山口は、父を、母を、自分の家族を、自分の半生を、咀嚼し反芻するように振り返る。

妻子ある男と駆け落ちした、女郎屋育ちの母。詐欺まがいの危ない橋を渡りながら、ぼろ儲けと倒産を繰り返した父。父と前妻との間に生まれた兄。金の亡者のような弟。酒と博打に取りつかれるように生きてきた山口。その山口に重くのしかかる、「父は前科者なのではないか」という疑念。

さまざまに張り巡らされた伏線が、読み進めていくにつれて引き絞られていく。先へ先へと読まずにいられない。しかも舞台は昭和57年の川崎だ。私は、まさにその時、その街で暮らしていたのだ。

山口瞳が、自分がかつて住んでいた家の辺りを見つけに行く場面がある。市役所で教えてもらった地番を求めて、川崎駅西口から尻手駅に向かって、県道鶴見溝口線を彼は歩く。その道は片側2車線の広い通りだ。北側が幸区南幸町。南側が幸区柳町。私のアパートは南幸町にあり、山口の家は柳町にあった。私は専らアパートのある、通りの北側を歩いていたが、山口瞳はその向こう側を歩いていたんだなあ。

山口瞳曰く、川崎とは、「東京で事業に失敗した人や事情があって会社を退職した人が、一時的に身を潜める町。失意の人に住む町」。もちろん、これは彼の実感である。山口家が川崎に住んだのも、こういった事情による。

いずれ、この本をネタにして川崎散歩をしてみたい。

この前作『血族』も読まねばなるまいなあ。


2 件のコメント:

ゆう さんのコメント...

川崎とは離れてますが新川崎勤務の時にランチしに
南武線の鹿島田駅の線路を渡る時に
思わず踏切内で転んでしまいました。
周りから「きゃー!」というOLの声。
何とか起きて踏切閉まる前に渡り切りましたが、歩きながら
「あ、そう言えば昨日の夜、買ったばかりの浮世断語読んで
鉄橋歩いてて事故に遭ったシーンあったな、、、」
と思ってゾーッとした記憶があります。

川崎は年に1度か2度飲みに行きますが
やっぱり独特のオーラを纏った街ですよね。

densuke さんのコメント...

コメントありがとうございます。

川崎にお勤めの頃があったんですね。
鹿島田は以前歩いて、記事にしたことがあります。昼飯にアジフライ定食でビールを飲みました。
『浮世断語』読んだ次の日に踏切で転ぶなんて、確かにぞっとしますね。

学生の頃に、川崎駅の東口の方の養老乃瀧で飲んだことがあります。その店は全品前払い。注文する度にお金を払うシステムになっていて驚きました。後で「そうしないと代金を回収できないことがあるんだ」ということに気づき、しみじみとした覚えがあります。