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2015年2月1日日曜日

昨日の日記


昨日の日記。
昨日は次男の子ども会の遠足。妻も一緒に行く。
午前中は長男も部活なので、留守番。
朝のうち散歩がてらに郵便局に行く。
前日の雨の水蒸気が冷気に晒され靄となって立ち上る。
なかなかきれいな光景だったね。

家に帰って、久々にDVDを観る。
『ビートルズ・アンソロジー3』、古今亭志ん朝『富久』、佐野元春『ヴィジターズ・デラックス・エディション』の3本。
ビートルズのはちょうどビートルマニア全盛の頃の映像。
すごい数の女の子が、彼らに悲鳴を上げて殺到する。ほんとあられもない姿なんだ、これが。失神する子も少なくない。実際、ビートルズの4人は、女の子に関してはとっかえひっかえだったらしい。まるで落語の『妾馬』の殿様みたい。しかもその特権は、殿様の場合出自によるものだったけど、ビートルズは自らの魅力や才能によるものだからなあ。すごいよねえ。(そりゃジョンが妻子を顧みなくなるのも無理ないわ)
でも、あんな状況でまともでい続けることなんて難しいよな。事実、ビートルズの4人も薬物に手を出すようになっていく。
ただ映像で見ているだけでも、この4人のかっこよさっていったらない。『アイ・フィール・ファイン』のジョン、『ロング・トール・サリー』のポールなんか最高だ。

昼過ぎ長男が帰って来たので、丸亀製麺に行って昼食。釜玉うどんとイカ天、鳥天。旨し。
ついでに土浦の駅ビルに行く。本屋、鉄道模型の店をぶらつく。

土浦駅近くのパン屋さんだった建物。
残念ながら閉店しちゃったみたい。

夜はスーパーで買って来た焼き鳥、いわしの竜田揚げなんぞで燗酒を飲む。
次男はとても楽しかったらしく、上機嫌で遠足の話をしておりました。

2015年1月28日水曜日

追ん出し寄席

久し振りに落研の話をします。 

S大寄席が終わり、落語長屋が終わると、その年の対外発表会は幕を閉じる。
そして、4年生の追ん出し寄席が始まる。校内での所謂引退興行である。
2人組になることもあれば、単独でやることもある。
私は一人でやった。8人いる同期の中で、いちばん後、12月の10日頃だったかな、正確な日付は覚えていないが、ちょうど卒業論文提出の日だった。
ちなみに卒論は太宰治の「人間失格論」。他のゼミ員たちは、十分な準備期間を取って、図書館に日参しながらこつこつ書いていたが、私は例によって変な見栄を張って、1ヶ月で書き上げるつもりでいた。
原稿用紙50枚以上の論文はさすがに手強く、清書は落研の後輩3人を、1日500円でバイトに雇った。完成したのは、提出日の午前2時過ぎだったと思う。
ちょっと寝て部室へ行き、製本をしてから研究室に提出しに行った。上には上がいるもので、ゼミ長のS君は、研究室で最後の清書にかかっていた。
晴れて卒論を提出した私は、昼休みの追ん出し寄席に臨む。
文字通り最後の高座だと覚悟していたので、出演者は最小限に絞った。
前座に夢三亭ペコちゃん、口上に夢三亭錦之介(大福さんの真打名である)と夢三亭おち坊、そして私。おち坊君を除いて、茨城出身者を並べた。
高座も少し工夫した。後ろの壁には後ろ幕を引いて、その上の方に私が描いた昭和の三名人(文楽・志ん生・圓生)のイラストを掲げた。めくり台の所には、部室にあった一升瓶を2、3本並べ、寄席の特別興行の雰囲気を出してみた。
一番太鼓が入り、二番太鼓を入れる。二番の締めは私、大太鼓を悟空君で叩く。1年の時は、この二人が太鼓担当だった。
ペコちゃんの『手紙無筆』に続いて口上。大福さんの口上は、見事に私の本質を言い当ててくれた。
「自分じゃ無頼派って言ってますけど、本当は不器用な方で、すぐムキになる。…スマートに女の子を誘うなんてできない」なんていうことを、もうちょっと色んな比喩を使って喋って、ウケを取っていた。
さて、いよいよ私の出番だ。出囃子には普段「木賊刈り」を使っていたが、今回は「野崎」。
うちの落研は、出囃子に「野崎」「一丁入り」「正札附」「お江戸日本橋」を使ってはいけないというのがルールだったが、追ん出し寄席だけは何を使ってもいいことになっていた。私は、現役最後の高座には八代目桂文楽の出囃子で上がりたかったのだ。
出演者を絞ったので、30分ほどの時間があった。私はたっぷりと時間をかけて枕を振り、落研での思い出話をした。できるだけこの高座にいたかった。ネタは『かんしゃく』。ネタ下ろしである。枕15分、本題15分という、後の柳家小三治みたいな構成になった。
『かんしゃく』については、後日「風柳の根多帳」で詳しく語りたい。 

後で思ったのだが、リクエストという手もあったなあ。
当時、花王名人劇場というテレビ番組があって、リクエスト落語という企画があった。高座に上がってから、客のリクエストに応えてネタに入るという趣向である。
番組では、笑福亭仁鶴が『延陽伯』、月の家圓鏡(現橘家円蔵)が『猫と金魚』、柳家小三治が『小言念仏』を演じた。見事に十八番ぞろいである。
私の場合は『牛ほめ』『豆屋』『猫の災難』といったところかな。
終わってから、後輩に「『芝浜』演るのかと思ってましたよ」とも言われたけどね。

2015年1月24日土曜日

穏やかな休日


寒い朝だった。
午前中、次男と家の周りを散歩する。
彼は畑や裏山が好き。羊歯や苔のことをよく知っていた。
「ぼくは杉苔が好きなんだよ」と言う。
霜柱や氷を見つけては、飽きずに眺めていた。ああいうきらきらしたものに、心惹かれるらしい。

以下は散歩での写真です。
甕に張った氷をかきまぜる次男。

見事な霜柱。

ほんと寒かったんだねえ。

庭のネコヤナギに鳥の巣がありました。

昼はやきそば。
午後は次男と柳家小三治の『初天神/時そば』のCDを聴く。

夕方にハートランドビール。
晩飯は、ピザ、大根のトマト煮で白ワイン。寝しなにボウモアを飲む。

2015年1月23日金曜日

科学未来館に行って来た


うちの子どもたちは科学館が大好き。
では、というので、お台場の日本科学未来館に連れて行った。
折しも特別展では「チームラボ 踊るアート展と 学ぶ!未来の遊園地」をやっていて、評判を呼んでいるらしい。

開演30分前に到着。チケットを買うのに15分ぐらい。開館は10時からだが、それより前に入場できる。
特別展会場入場口に並ぶ。事前の情報では、1時間待ちということもあったらしいが、この時間だと会場と共にすぐに入れた。
とにかく映像がすごい。最初の方はデジタルアート作品。日本の古典をモチーフにしたような映像が美しい。

伊藤若冲の象がモチーフなんでしょうなあ。

次の間は「学ぶ!未来の遊園地」。
ここも圧巻の映像。字に触れると、そこから絵が現れたり、自分が描いた絵がすぐアニメーションとして映し出されたり、とにかく仕掛けがすごいのよ。
これは面白いはなあ。

これが次男のお気に入り。

こちらは長男のお気に入り。


もちろん常設展もたっぷり遊ぶ。
お昼はカフェでカレーライス。妻や子どもたちはハンバーグライス。そっちの方が盛りがよかったなあ。お味はよろしゅうござんした。
カレーに海苔はどうなのよ、って感じでしたが。

3時間たっぷり遊んで、豊洲のららぽーとに行った。
ゴディバのチョコレートドリンクを飲んで、ちょっと買い物。私は佐野元春のCD『ヴィジターズ・デラックス・エディション』、妻はバーゲンで服を買えた。
子どもたちは寒風吹きすさび小雪ちらつく中、元気に外で遊んでおりました。






帰りにスーパーやまうちで晩飯を買って帰る。鯵のたたき、アジフライ、干瓢巻で酒。
楽しかった。また行こうね。

2015年1月19日月曜日

鹿島神宮


昨年の11月に鹿島神宮に行った時の写真をアップします。
上の写真は大鳥居。以前のものは石で作られていましたが、東日本大震災で倒壊してしまいました。再建されたのは、ほんの数か月前のことです。

さすが常陸の国一宮。一歩足を踏み入れると、荘厳で清澄な空気が流れています。
鹿島神宮のユニークなのは、突き当りがないんです。神社というのは、奥の正面に拝殿があり、その後ろに本殿がある、というのが一般的ですが、ここは、長い参道が続いていて、その脇にお社が建てられている。ずーっと歩いて行くと御手洗の池に出てお終いといった感じ。
でも、その長い参道を歩きながら森閑とした雰囲気に身を浸していると、身も心も清められていくようで、何とも言えませんね。
最近、パワースポットとして人気なのも、分かるような気がします。

では、中へと入ってみましょう。




これがいちばん奥にある御手洗の池。

ここから引き返して、鳥居の外に出て、お土産屋さんなんかが立ち並ぶ参道を歩くいて行くと、こんなはめ絵があったりします。
なかなかいいでしょ。

そして、鹿島神宮駅の方に向かうと…、
塚原卜伝の銅像があります。
では銅像フェチの高山T君のためにアップで。

2015年1月15日木曜日

藤本蚕業株式会社支店


藤本蚕業株式会社支店。土浦の真鍋宿通り。真鍋の坂を上りきる手前にある。
もともとは長野県上田市に本社に本社があり、そこは今、歴史館となっているらしい。
ついでに土浦の繭取引について調べてみたら、面白かったので、ちょっと書いてみる。

土浦には、大正6年から昭和14年まで、我が国屈指の「豊島繭取引所」があった。ここは普段は百貨店であったが、季節になると繭取引所となった。
豊島百貨店は、戦後、霞百貨店となり、その後、京成霞百貨店となる。

京成霞百貨店があったのは、土浦駅を出て正面、現在イトーヨーカドーが撤退した後のウララビルの所である。私が子どもの頃は、屋上遊園地があって、遊びに行くのが楽しみだった。
ちなみに、駅を出て向かって右手、居酒屋なんかが入っている雑居ビルが元の丸井。
丸井の脇の道を常磐線沿いに下り方向に行くと、西友があり、旧イトーヨーカドーがあった。
駅前通りを亀城公園の方に行くと、左側に小網屋があった。
土浦には、これだけのデパートがあった。今は、そのいずれも残っていない。

豊島百貨店は鉄鋼コンクリート3階建て。繭取引所になった時は、売り場を取っ払って、10畳敷きほどのセリ台をしつらえた。
台の上に農家から持って来た繭がぶちまけられ、仲買人が周りに集まる。品定めをした後、セリが始まる。
値段はお椀のような器の底に筆で書いて「読み屋」に投げる。「読み屋」が値段を読み上げ、値が決まると、手締めをする。
セリ落とされた繭は大きな板で寄せられ、どんどんざるに入れられる。男たちがそれを次々と運び、エスカレーターに載せる。乾燥所は木造2階建て。エスカレーターで2階に運ばれた繭はレールの上をゆっくり移動し、4時間かけて乾燥される。
乾燥したものは倉庫に保管され、やがてそれぞれの製糸工場に送られる。
ここでは1昼夜に12000貫の繭を乾燥した。
取引先は県内を除けば、長野県が最も多く203社。2位の山梨県が30社だから、群を抜いている。藤本蚕業株式会社もその一つだったのだろう。

ネタ本は『伝聞ノート3 町場の女たち』(佐賀純一編 ふるさと文庫)。
本の中では、豊島乾燥所で40日働いて50円稼いだ金を、豊島裏にあった「とよのや」という女郎屋に2か月半居続けて、すっかり使い果たした男の話が載っている。

土浦にそんなに熱い時代があったことが、今では信じられないよねえ。

震災で大分やられたんでしょうなあ。

2015年1月9日金曜日

出口一雄と妻たち 予告編

出口一雄がどのような容貌の人だったか、今はほとんどの人が知らないだろう。
私も、京須偕充の「鬼の眼に涙」の扉ページのイラストでしか知らなかった。
それがこれ。

ちょっとなあ、という感じだよね。
ところが、先日、Suziさんから出口一雄の画像をいただいて驚いた。


向かって左から2番目が出口一雄。右側の二人が弟夫婦。左端は妹である。
色男だよねえ。

Suziさんはこのように言っている。
「銀座で映画のスカウトにあっていたそうです。母は父と見合いした後、伯父に会って腰を抜かさんばかりに驚いた、って言ってました。『まあ素敵な人だったわよ。こんな違う兄弟もあるんだ、ってほんとびっくりしたの。』そういつも笑って説明してくれました。」 

三遊亭圓生は、「鬼の眼に涙」の中でこう語る。
「姿勢がよくて、いい身装(なり)をして、気っぷが江戸前で颯爽としていましたよ。ですからねえ、あれでなかなかモテたんです。」 そして、それにこう続けた。 「ですからね、出口のお内儀さんは割に若い。」 

この、圓生の言う「お内儀さん」は、出口の三番目の妻に当たる。 それもSuziさんの証言で明らかになった。

では、次回より、出口一雄の結婚歴を、Suziさんのお話を基に辿って行くことにします。