藤本蚕業株式会社支店。土浦の真鍋宿通り。真鍋の坂を上りきる手前にある。
もともとは長野県上田市に本社に本社があり、そこは今、歴史館となっているらしい。
ついでに土浦の繭取引について調べてみたら、面白かったので、ちょっと書いてみる。
土浦には、大正6年から昭和14年まで、我が国屈指の「豊島繭取引所」があった。ここは普段は百貨店であったが、季節になると繭取引所となった。
豊島百貨店は、戦後、霞百貨店となり、その後、京成霞百貨店となる。
京成霞百貨店があったのは、土浦駅を出て正面、現在イトーヨーカドーが撤退した後のウララビルの所である。私が子どもの頃は、屋上遊園地があって、遊びに行くのが楽しみだった。
ちなみに、駅を出て向かって右手、居酒屋なんかが入っている雑居ビルが元の丸井。
丸井の脇の道を常磐線沿いに下り方向に行くと、西友があり、旧イトーヨーカドーがあった。
駅前通りを亀城公園の方に行くと、左側に小網屋があった。
土浦には、これだけのデパートがあった。今は、そのいずれも残っていない。
豊島百貨店は鉄鋼コンクリート3階建て。繭取引所になった時は、売り場を取っ払って、10畳敷きほどのセリ台をしつらえた。
台の上に農家から持って来た繭がぶちまけられ、仲買人が周りに集まる。品定めをした後、セリが始まる。
値段はお椀のような器の底に筆で書いて「読み屋」に投げる。「読み屋」が値段を読み上げ、値が決まると、手締めをする。
セリ落とされた繭は大きな板で寄せられ、どんどんざるに入れられる。男たちがそれを次々と運び、エスカレーターに載せる。乾燥所は木造2階建て。エスカレーターで2階に運ばれた繭はレールの上をゆっくり移動し、4時間かけて乾燥される。
乾燥したものは倉庫に保管され、やがてそれぞれの製糸工場に送られる。
ここでは1昼夜に12000貫の繭を乾燥した。
取引先は県内を除けば、長野県が最も多く203社。2位の山梨県が30社だから、群を抜いている。藤本蚕業株式会社もその一つだったのだろう。
ネタ本は『伝聞ノート3 町場の女たち』(佐賀純一編 ふるさと文庫)。
本の中では、豊島乾燥所で40日働いて50円稼いだ金を、豊島裏にあった「とよのや」という女郎屋に2か月半居続けて、すっかり使い果たした男の話が載っている。
土浦にそんなに熱い時代があったことが、今では信じられないよねえ。
震災で大分やられたんでしょうなあ。
2 件のコメント:
はじめまして。私も土浦出身です。
ブログ主さまよりも少し年上かもしれません。
豊島とは多少の血縁関係があるのですが、繭取引所のことは全く知りませんでした。
繭のセリ、乾燥などの記述が生々しくて感動しました!
長野県からも取引に来ていたなんて、ビックリです!
上田の藤本蚕業の支店があるという真鍋は、私が育った町です。
そういえばこの建物見たことあるような…
土浦にも熱い時代があったのですね。
本当に、土浦には沢山のデパートがありましたよね。
もう故郷を離れて何十年も経ちますが、昔が蘇るようで懐かしく読ませて頂きました。
10/20に書かれた最近の土浦の写真にも感動しました。
また時折読ませて頂きます。
コメントありがとうございます。
繭取引所についての記述は、筑波書林、ふるさと文庫『伝聞ノート3 町場のおんなたち』(佐賀純一編・1982年刊)によるものです。
真鍋の街並みも風情があっていいですね。
私は村育ちなので、たまに連れて行ってもらえる土浦は憧れの地でした。
今も暇があれば、よくほっつき歩いています。ブログにもけっこう写真をアップしているので、ご覧いただければ幸いです。
今後とも御贔屓に。よろしくお願いいたします。
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