これは、もしかしたら「性愛小説」なのではないか、とふと思った。
前半のテーマは、主人公、時任謙作の生い立ちに関する疑惑。謙作は祖父と実母との不義の子だったということ。そして、後半は謙作の妻の従兄との間違い。人間の理性では御し切れない動物的な側面がえぐり出される。
自分が祖父と母との子だったと知った時の衝撃は凄まじいものがあったろう。男にとって母親とは女性観を形作る重要なバックボーンである。その母親が不義を犯した。否応なく、母を女として意識せざるを得なくなる、聖母としての母親に動物の匂いを嗅がざるを得ない、そんな状況に時任謙作は追い込まれたのではないだろうか。
その疑念のために、長年の間陥った父との不和。そこをやっと脱したと思ったら、最愛の妻が彼女の従兄と間違いを犯したことが発覚する。
ここでも、人間のどうしようもない動物としての側面がのぞく。しかも、妻はその従兄弟と幼い頃、性的な遊戯を繰り返していた。その間違いの時も、妻は最初、激しく抵抗したものの最後はなすがままにされたらしい。夫としてはたまんないよな。
謙作は理性でそれを納得させようとする。起きてしまったことは取り戻せない。妻も自責の念にかられている。許すしかないのは分かっている。でも、許せない。川崎長太郎は「他人の粘液が入った体を許せないのだ」と言う。身も蓋もないが、でも人間てそんなもんかもしれない。
いくら人間が崇高な理念を持っていても、慎ましく貞淑であっても、駄目になるときは駄目になってしまう。地位もあり、守るべきものもある人が、いとも簡単に転落してしまう。それが性だな。人間のどうしようもない業、動物としての部分だな。
そんな暗夜を私たちは行くのだ。危うい均衡を保ちながら。いつ奈落の底に落ちるとも限らない暗闇を。
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