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2010年4月19日月曜日

落語協会分裂騒動とは何だったか②

三遊亭圓楽は晩年の著書『圓楽芸談しゃれ噺』の中で、真打ち問題について小さんに相談されて、「あたしの考え方が乱暴だったら意見して欲しいんだけど、例えば春十人、秋十人という風に昇進させていけば、四十人いても二年で解消できる。」と答えたと書いている。
つまり、小さんに十人真打ち昇進を進言したのは自分であると言っているのだ。
金原亭伯楽の『落語協団騒動記』では、立川談志(作中では横川禽吾)が、古株の二つ目を集め「お前たちを真打ちにしてやる」と宣言し、林家正蔵(作中では森家登喜蔵)に大量真打ち昇進を献策する場面が出てくる。
圓生を激怒させた大量真打ち誕生は、実は圓楽と談志の発案によるものだったというわけだ。
その二人が、新協会設立に動く。既成の落語協会、芸術協会に加え、新協会を立ち上げ、一ヶ月を3団体で回すことで、寄席を活性化させようというのが、そのねらいである。上野鈴本の社長もそれに賛同。大量真打ち問題で落語協会に不満を持つ、三遊亭圓生が二人の勧めに乗ったのだ。
この新協会設立を目指した、圓生と談志・圓楽の目的は、まるで違っていた。圓生は実力主義の理想の協会を夢見たが、談志・圓楽にとって理念は二の次で、ただ新しい協会が欲しいだけだった。
圓生が落語協会離脱に際し、協会に残る条件として会長小さんに突きつけた要求が二つあった。ひとつは大量真打ち昇進をやめること、もうひとつは常任理事、三遊亭圓歌・三遊亭金馬・春風亭柳朝の3人を罷免することだった。
圓歌・金馬・柳朝の3人は、談志・圓楽のすぐ上の世代。この3人が失脚すれば、協会の運営は談志・圓楽の意のままになる。
要求が通れば協会にとどまり、通らなければ新協会を設立する。いずれにしても、談志・圓楽は、思い通りに振る舞える環境が手に入ることになるわけだ。
確かに、この騒動は、理想と現実の対立に端を発したものである。しかし、協会分裂という事態にまで発展したのは、それを望む野心の存在があったからに他ならない。
不純な動機によって動き始めたものが、多くの人を動かすとは思えない。新協会も、次第に不協和音を奏で始めることになる。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めまして、記事の内容に興味が合ってコメントさせて戴きました。
実はこの騒動にちょっとした話が有りまして、
私が働いていたとある会社のお偉いさんが言っていたのですが、

実はこの騒動の切っ掛けを作ったのは、圓楽さんでもなく、談志さんでもなく、
当時の鈴本の経営者達らしいです。

なんでも、70年代に入る前から寄席の客が減っていて落協と芸協だけでは商売が軌道に乗らないので、
売り上げを上げる為の手段として、新しい協会を作らせようとしたらしいです。
その為に上昇志向が強く、志ん朝さんにコンプレックスを持っていた談志さんを利用したと言っておりました。

それで、談志さんが圓楽さんに相談して新協会を作らせて、
自分達は高みの見物、と来たらしいです。

でも、最終的には馬生さんが鈴本をボイコットすると言い出した為に、
慌てて新協会設立を断念したらしいです。

結論を纏めると、

「鈴本が金儲けをしようとした結果、分裂騒動にまで発展した」

これが真実らしいです。

ちょっとした話でしたが、勝手に投稿して申し訳ありません。

densuke さんのコメント...

コメント、ありがとうございます。
確かに鈴本は一貫して企業としての論理で経営している印象ですね。
後に芸術協会と手を切ったのも、現在、出演者をしぼり、持ち時間を多くとっているやり方も、集客のためと言ってもいいのかもしれません。(もっともそれは顧客の満足度を最優先したとも言えるでしょう。)
新協会設立というのもその流れのひとつで、それが談志・圓楽の利害と一致したのだと思います。
新協会設立断念には、当時の席亭のドン、新宿末広亭の北村銀太郎氏が首を縦に振らなかった、というのも大きかった。記事にも書きましたが、そこにはプロの冷徹な判断が働いていました。
キーマンの一人、金原亭馬生は、この事件には何一つ語ることなく亡くなりました。惣領弟子の伯楽が『落語教団騒動記』を書きましたが、それとても所詮は当時の若手真打からの視点にすぎません。でも、ボイコットという形で鈴本と勝負したとすれば、馬生師匠やるなあ、と思いました。
分裂騒動自体は、圓生・正蔵の確執、談志・圓楽の野心などが複雑に絡み合って、原因を単純化することはできないと思いますが、談志が暗躍したエネルギーには、志ん朝に対するコンプレックスが根っこの所であったと私は思っています。
それにしても、談志の持論だと思っていた、「三つ目の協会設立論」が、鈴本の社長のアイディアだというのは面白いですね。談志は全部自分の手柄にしちゃう人なので、案外それが真相なのかもしれませんね。
また、色々教えてください。
今後とも御贔屓の程、よろしくお願いいたします。

densuke さんのコメント...

金原亭伯楽の『落語協団騒動記』を読み返していますが、馬生の「鈴本ボイコット」のエピソードが、はっきり書かれていました。(本の中で馬生は「草原亭羊生」という名前になっています)
「馬生師匠、かっこいい」と思いましたよ。
『落語協団騒動記』については、いずれブログで書いてみようと思います。

匿名 さんのコメント...

鈴本演芸場が黒幕って説は面白いですね、でも確かにベテランの新宿の席亭さんが難しいと言った新協会の設立を利益優先でかつ新宿より寄席の経営も歴史も深い鈴本がOKしたのは腑に落ちませんね。
そうすると、この人の言う通り鈴本が新協会の設立を談志さんに提言したって言うのは信憑性がありそうですね。
新宿がNGを出したのに鈴本がOKしたのも自分達が考えてやりたかった事だからと考えれば納得出来そうです。
談志さんには「新協会を作ったら談志一門の出番を優先する」とでも言えば少し飛びつきそうですし。

densuke さんのコメント...

鈴本は大正時代の演芸会社設立の頃からそういうことをやっています。
鈴本が先か談志が先かはよく分かりませんが、わりと早い段階で両者は組んでいたと思います。
『落語教団騒動記』や鈴本については他にも記事にしていますので、よかったら読んでみてください。
今後とも御贔屓の程、よろしくお願いいたします。