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2010年9月17日金曜日

文楽十八番

文楽の晩年の持ちネタは、「明烏」「よかちょろ」「船徳」「寝床」「素人鰻」「愛宕山」「鰻の幇間」「王子の幇間」「馬のす」「心眼」「景清」「しびん」「松山鏡」「締め込み」「やかん泥」「厩火事」「按摩の炬燵」「星野屋」「悋気の火の玉」「富久」「夢の酒」「大仏餅」「穴泥」「酢豆腐」「かんしゃく」「干物箱」「つるつる」の28演目しかなかった。
ただ、文楽の持ちネタがこれだけだったというわけではない。
戦後でも「小言幸兵衛」「野ざらし」「品川心中」「お若伊之助」「鶴満寺」を演じたことがあった。戦時中のものでは「子ほめ」の録音も残っている。
(ちなみに「小言幸兵衛」と「品川心中」は大学時代ワゴンセールで買ったテープに入っていた。「鶴満寺」はCD化されている。)
昭和18年刊の『風流寄席風俗』という正岡容の随筆集に収められた「名人文楽」の中には、「芝浜」「九州吹き戻し」を稽古中だと書いてある。自伝『あばらかべっそん』では「三味線栗毛」をものにしたいと書いているし、自分の女を鶴本の志ん生に取られた体験を「刀屋」に生かしたいとも書いている。その他にも『あばらかべっそん』の中には「代脈」や「道灌」を演じた記述もある。
文楽は弟子の柳家小満んに「あたしだって稽古した噺は300ぐらいあります。」と言ったという。そして、こう付け加えた。「富士山も裾があって高いんですよ。」
つまり、文楽の持ちネタは、志ん生や圓生に匹敵する可能性があったということだ。しかし、彼はそれを約10分の1にも絞り込んだのだ。
文楽がここまで持ちネタを絞り込んだのは、その完璧主義にあったのに間違いはなかろう。彼はよく「私のネタはすべてが十八番」と胸を張ったが、逆に言えば十八番しか演らなくなったのだ。いいものしか出さない。いや出せない。名人という称号は、そういう形で文楽を縛ったのかもしれない。
もうひとつ、色川武大が「名人文楽」(奇しくも正岡と同じタイトルだ)という文章で興味深いことを書いている。文楽の演目が少ない理由は「自分の命題に沿えない話は演じない」からだ、というのだ。
文楽のネタが偏っているというのは、誰もが指摘するところだと思う。わずか28演目の中に、盲人の噺、幇間の噺が占める割合は大きい。(春風亭小朝は、主人公が一方的に虐められる噺が多いと言っている。)自分の命題に沿う噺しかできないとなれば、自ずから似た傾向の噺が多くなるのは仕方がないだろう。文楽はその点で言えば、確かに不器用だった。
しかし、こうも言える。文楽は、自分が同化できる噺しか演らない、いわば「一人称の落語家」だったのだ。(三遊亭圓生は「三人称の落語家」だったと思う。登場人物から距離を置き、全ての人物を巧みに演じ、操って見せた。)だから、文楽の噺は、型は決まっていても、熱く躍動し、聴く者の心を揺さぶるのだ。

1 件のコメント:

ETCマンツーマン英会話 さんのコメント...

おはじきを使った落語のおけいこのことが詳しく知りたくて『芸談 あばらかべっそん』を読み始めたのですが、文楽さんの落語自体はまだ少ししか聞いたことがありません。DVDがあるそうですので、連休に見てみたいとおもいます。演目の少なさの理由もとても興味深いです。