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2012年8月6日月曜日

柳家小里ん・石井徹也(聞き手)『五代目小さん芸語録』

亡き師匠の遺風を感じさせる人っているよね。
古くは三代目柳家小さんに対する七代目三笑亭可楽なんていうのがそうだったんだろう。 今では八代目林家正蔵に対しての林家正雀、八代目桂文楽に対しての柳家小満んかな。私のイチ押しとしては五代目柳家小さんに対する柳家小里んだ。最近は、風貌までそっくりになってきたもんなあ。
その小里んが、師匠小さんの得意噺54席について、演目ごとに師の教えを語ったのがこの本である。お相手は放送作家の石井徹也。
これがいい。いわゆる職人肌。「落語はこう演じろ」というノウハウを惜しげもなく披露してくれる。ひとつひとつが具体的で分かりやすい。『論語』みたい。『老子』のように奇抜ではないが、すんなりと身体に入ってくる。
いわば実践的な教えだ。実際に客前で演じた結果生まれてきた教えだ。ここが評論家の分析とは一味違う。あえて踏み込んでいえば、寄席の高座で磨き上げられた教えだな。毎日、必ずしも自分を目当てに入って来たわけでもない、聞き手のレベルとしても雑多な寄席の客を相手に磨き上げられた教えだと思う。
しかも深い。「落語は季節感と情景と人物が描ければ自然に面白くなる。」というのはまさに至言だなあ。
立川談志との「『大工調べ』論争」にも小さんの見解が出ている。この噺は、道具箱を店賃のかたに取られた与太郎に、棟梁が金を出してやろうとしたが、生憎、わずかに持ち金が不足していたことが発端になっている。談志は、もともと棟梁の渡した金が不足していたのがいけないと言い、古今亭志ん生の「棟梁は啖呵を切りたい奴なんだ。」という言葉を引いている。それに対し小さんは「お屋敷には門止めの時間がある」という設定をきちんとさせ、そのために持ち合わせの金を持って行かせたとしている。大家の方に悪意があって、その網に引っ掛かって棟梁は喧嘩をしてしまうのである。与太郎を立てたいがために騒動になってしまった。ただの啖呵が切りたいだけの単純な男ではない。七代目橘家圓蔵が柳家小三治にアドバイスしたように、棟梁を「人を束ねるだけの貫録も思慮もある人物」として描く。その方が気持ちがいいよねえ。
また聞き手の石井徹也もいい。この人の小さんを評して「友情の名人」というのは新鮮な視点だった。そうだよな、『長短』『饅頭怖い』『強情灸』『猫の災難』など友達同士の話だ。しかも、それぞれ騒動は持ち上がるものの、皆仲が良い。それがまた小さんの落語の心地よさでもあるんだな。
巻末には柳家小三治のエッセイも付いている。(これが素晴らしい。)
五代目小さんの教えを後世に伝える、まさに落語界の『論語』ですな。

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