『大仏餅』という噺がある。
名人八代目桂文楽の最後の演目として知られている。文楽は、この『大仏餅』の口演中、絶句して高座を下り、それから4カ月足らずで死んだ。
もともとは三遊亭圓朝作といわれる三題噺である。「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」の三つのお題をまとめたものだ。
大福さんが以前ブログで書いていたように、それほど面白い噺ではない。立川談志は「文楽師匠は、自分のネタはすべて十八番と言っているが、本当にそうか? 『大仏餅』なんか酷いもんだ。」と色んな所で言っていた。
あらすじは次の通り。
ある雪の晩、河内屋金兵衛の店に、子連れの新米の盲乞食が現れる。上野の山下で乞食連中に親父の方が袋叩きにされ、血止めのための煙草の粉を恵んで貰いにきたのである。子どもは6歳。ちょうどその晩、河内屋は子どもの袴着の祝いで、八百善の料理で客をもてなしたばかり。同情した金兵衛が、親子に料理の残りをやろうとして、面桶を預かって驚いた。それは、名器、朝鮮さはりの水こぼしだったのだ。素性を訊くと、その盲乞食は芝片門前でお上の御用達をしていた茶人、神谷幸衛門のなれの果てだった。そこで、金兵衛はおうすを一服立て、大仏餅を茶うけにして幸衛門に差し出すが、幸衛門は大仏餅をのどに詰まらせ苦しむ。背中をたたいてやると、餅が喉を通った拍子に幸衛門の目が開いた。しかし、と同時に彼の鼻が抜ける。「今食べたのが大仏餅、目から鼻へ抜けた」というのがサゲ。
結末がきれいではないし、サゲも分かりにくいのは確かだ。
柳家小満んは、著書『べけんや―わが師、桂文楽』(河出文庫)の中で、『大仏餅』について、こう述べている。
「よく出来ていると思うのは、三題のうち二つが噺の最初に出て来て、後の一つがサゲ際に現れるという点だ。三題のうち二題がいきなり出て来るから、お客は成程三題噺になりそうだと安心をする。ところが、あとの一つがなかなか出てこない。そのうち噺の内容に引き込まれて、それが三題噺であることを忘れて噺に聴き入ってしまう。すると、突然もうひとつの題が出て来てオチがつく。お客は、やられた! と思う寸法だ。」
プロならではの分析だ。とすれば、枕で三つの題を明示しておいた方がいい。その点で、文楽演出は、簡潔だが理にかなっている。
そして、この『大仏餅』が、文楽の絶句から10年後、同じ国立小劇場の落語研究会に、林家彦六の口演でかけられることになった。しかし、彦六は直前に入院してしまった。しかも脳軟化症を患っているらしい。とても高座は無理だ。そこで小満んにお鉢が回ってきた。気が進まぬまま引き受けたが、その日、彦六の弟子正雀と、『大仏餅』の作者とされる三遊亭圓朝の墓参りをしていたことに気づき、小満はめぐり合わせを感じる。
さて当日、文楽が絶句した、神谷幸衛門名乗りの場面で、小満んも絶句に近い感覚に陥る。
「それは、乞食にまで零落した神谷幸衛門の無念さと、師匠文楽の絶句した口惜しさが交叉したからである。」と小満んは言う。
小満んは、何とかその危機を乗り切ったが、サゲ際に前座が鉦・太鼓をひっくり返してしまう。
ただ、この出来事は、小満んにとって『大仏餅』の真髄を掴むきっかけとなった。小満んはこう続ける。
「ポイントは神谷幸衛門の名乗りにあると悟ったからだ。その無念さこそ、この核心である。あとの難問はサゲである。楽屋の粗相も『そこを何とか解決してみてくれ』という師匠の心残りの現れだったのかもしれない。」
鳥肌が立つな。この「私の難問」という章は、この本の中でも白眉をなす一文だと思う。
桂米朝は、『CDブック八代目桂文楽』(小学館)の中で『大仏餅』についてこう書いている。
「食べ物をあげると言われて乞食が差し出す器を受け取った旦那が、手触りでふっと気付き、たしかめてみて、『こりゃあ大変だ』と低い声で軽く言うのだが、その一言で、複雑な驚きが充分に表現されていた。あの辺の呼吸も忘れがたい。」
確かに、文楽ネタの中では小品であり、また、体調が悪い時や客筋のよくない時に多くかけられた演目ではあったが、それでもしみじみとした味わいのある噺であった。
今なお談志の影響力は大きく、若い落語ファンの間では、彼が酷評した志ん朝の『鰻の幇間』や、この文楽の『大仏餅』などを低く見るきらいがあるが、決してそんなことねえぞ、と私は思うのだ。
ちなみに、古今亭志ん朝の生涯最後のネタ卸しは、この『大仏餅』であった。
4 件のコメント:
素晴らしい文に、小膝叩いて、終始頷きながら拝読いたしました。
私は、かねがね、文楽師の大仏餅は実に素晴らしい一席であると思ってやまないのですが、
仰る通り、談志師が酷評されており、素人と玄人では見方が違うのかな、あるいは、好みの問題かな、
と長年感じておりました。そしてまた、是非、その酷いとの理由を、何かの折に談志師が仰らないいかな、
と思っていたのですがそれは叶いませんでした。
文楽師が逝去されて半世紀を過ぎ、しかし、現在でも文楽師の直弟子でいらっしゃる小満ん師の
至芸を拝見できるのは本当に嬉しいことです。
素人考えですが、この噺は演者が品の良い方でないと、「あたくしは斯様に汚うございますから、、、」
と言う神幸さんが、根っからのおこもさんとなりかねず、噺が壊れてしまうように思われます。
ともあれ、文楽、小満ん両師の大仏餅は本当に素晴らしいと、こちらの記事を拝見して改めて思った次第です。
コメント、ありがとうございます。
私自身、黒門町の「大仏餅」がいい、と思ったのは、ずいぶん齢を重ねてからです。
笑いのない小品だけに見過ごされそうな噺だとは思いますが、しみじみとした情感にあふれています。
推測ですが、談志はそこに漂う「文学的な匂い」を嫌ったのかもしれません。
いずれにせよ、文楽の「大仏餅」を間に置いて、「いいですねえ」と言い合える方に出会えたことが、とてもうれしいです。今後ともよろしく御贔屓の程を願っておきます。
「大仏餅」のサゲですが、「今食べたのが大仏餅、めでたく開眼いたしました」というのはどうでしょうか。
投稿させていただいたコメントにご返信があり、有難うございます。大変に我が意を強く致しました。
ご提案のさげですが、大仏開眼式にかけた、これは結構なさげでございますね。
軽妙な噺ではないだけに、「ああ、今食べたのが大仏餅。あっ、眼から鼻ぃ抜けた」では、
ここに至るまでの文楽師の精妙な語りぶりがちょっと勿体無い唐突な終わり方で
残念に思っておりましたので。
是非、小満ん師で演じて頂きたいです。
それにしても、冬の寒い夜、暗くした部屋の枕元で聴く大仏餅は、しみじみとした
大変風情あるもので、わたくしは本当に好きな噺ゆえ、談志師の評価は本当に残念に思って来た次第です。
なればこそ(文楽師風)、松風亭様のこのサイトに出会えたのは近来にない嬉しさです。
益々のご健筆をお祈りいたします。
また、コメントをさせて頂ければ幸いでございます。
喜んでいただけたようで、私としてもうれしいです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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