安藤の著書『わたしの寄席』中、「神田の寄席」という文章がある。安藤が敬愛した七代目三笑亭可楽の『妾馬』の、さり気ない行き届いた演出に触れた後、彼は、ある別の落語家をネタにして、このように続ける。
「その“めか馬”をやった落語家の名前を書くと、すぐ、ああ、あれかとわかる落語家だが、わざと書かない。
(中略)
その、講釈師かなんかのように、太い、だみ声で、そのくせ、女だとか、小僧なんかだと、歯を食いしばったような、へんに、ぎんぎんとした、高い調子を出す、その落語家は、“めか馬”の、この前、書いた、わたしがびっくりした、すばらしい可楽の演出のところで、こんなことをしてみせた。
八五郎が、殿様の前で、おずおずと、すこしずつ頭を上へ上げていって、妹のおつるの方様をみる。
みると、ちょっとわからなかったが、すぐにわかって、わかると、こんどはにやッとひとつ笑って、 『なんでえ、妹のおつるじゃアねえか、立派ンなれアがったじゃねえか、ええ、こう・・・』といった。
そういって、すぐ、こんどは、鼻のさきがつんとしたとみえて、右手の甲で、鼻のさきを、一、二ど、こう左右にこすってみせた。それで、やめればまだしものことだったが、すぐ、そのあと、その手を目のところへ持っていって、こんどは、ひとさし指だけを、ぴいーんとのばした手つきで、そのひとさし指とおや指の横ッぱらできゅうーッと、目を、左から右へ、少しゆっくりとこすった。
つまり、そこで、妹だな、おつるだな、ああ、立派ンなったものじゃアねえか、という八五郎を、その落語家は、口でもちゃんと、そういっておいて、あげくに、さらにまた、そんな手つきや表情で、八五郎の感情を表現してみせたのである。
(中略)
そんなところで、そんなことをして、客をほろッとさせるなどは、芸として、下の下だと思ったのである。その考えは、それから三十なん年経ったこんにち、ただいまも、まったく同じである。そして、そんなのが巧いなどとほめられて、その反対のいき方をしている可楽は、まったく、世の中からみとめられずに、まるで、不遇が、黒光りをしているような存在になっていることに腹が立ったのである。
落語だから、なにも、そんなにいわないでもいいではないか、というかもしれないが、落語だから、なお、許せないと思った。」
「その落語家」というのが三代目三遊亭金馬だということは明白だろう。多分、金馬の「臭さ」が、安藤には我慢できなかったのだろう。しかし、しっかり「臭く」演じるのも相当な腕がないとできないものだし、そうすることで金馬は落語を大衆のものにした。事実、同じ落語家仲間の間では金馬の評価は高かった。後に古今亭志ん朝も金馬の芸を「すばらしい口調、本当にお手本にすべきは金馬師匠だ」と言っている。
安藤は自分の美意識にそぐわないものは容赦しなかった。まさに「好き嫌い」で仕事をした人である。しかも彼は小説家であり、評論家であり、芸術祭の審査委員でもあった。自作の小説では、作中に「こんかめ先生」として登場し、いい役どころを演じたがった。
一方、出口は「好き嫌い」は激しかったが、「好き嫌い」で仕事はしなかった。裏方に徹し、自分が芸人の前に出ることを嫌った。 Suziさんによると、出口が安藤を嫌った理由を、「あいつは江戸っ子じゃねえ」と言ったというが、安藤の権威を身にまとった姿は、権力嫌いの出口にとってはまさに「江戸っ子の風上にも置けない」ものだったのだろう。
安藤鶴夫著、『わたしの寄席』(雪華社)
函カバー裏。
人形町末廣で、「文楽」のめくりを前にして客席に座る安藤。
2 件のコメント:
改めて拝読いたしました。出口さんと安藤さんの関係、面白いですね。また姪御さんの客観的な評価も流石です。文筆家としては安藤氏がはるかに格上でしょうから。実のところ安藤氏の文章はあまり読んでいないのですが、桐竹紋十郎について編んだ写真集を古書店で購入したことがあります。紋十郎の芸を愛するとても気持ち良い文章でした。
ところで、安藤氏はどこまで本当に正蔵を嫌っていたのでしょうか。何か本人が書いているのでしょうか。三代目金馬はあからさまに嫌っていたことは分かるのですが。正蔵師の緑内障治療に際し、安藤氏が病院を紹介した、ということを川戸さんが書いていますし、まあ小説ですが、吉川潮さんの「江戸前の男」にも書かれているので、そういう事実があったのでしょう。嫌いな対象にそこまでしないと思うので。
強いて安藤氏が正蔵師を嫌っていたとすれば、正蔵と文楽の関係が悪かったことが影響しているのかな、とも思われます。例の正蔵日記では、文楽師との関係は良好に思えるので、やはり小さん襲名騒動の結果なのでしょうか。この辺りは推測でしかなく、往時を知る方がほぼいなくなってしまった状況では何とも言えませんね。誰か書ける方はいるのでしょうか。
コメントありがとうございます。
「嫌われた」は、ちょっと強い表現でした。「評価されなかった」の方がより適当でしょうか。
正蔵の『噺家の手帖』という本に、「安藤氏を悼む」という文章があります。その中で正蔵は安藤について、「金馬や私などには至ってお点の辛い方で二重丸など一回も頂戴したことが無い」とか、「落語ではゼロだ褒められたことは絶対にない」とか書いてあります。少なくとも正蔵には、安藤に評価されていないという自覚があったにちがいないと思います。
安藤の文章からは特に感じたことはありません。あの人は「評価しない人のことは書かない」というスタンスだったと思います。(金馬のことは名を伏せて批判していますが)
緑内障のエピソードは、この文章でも紹介されています。「四年前の四月の或る夜」、安藤から電話があって「君のファンだろう未知の人からハガキが来て君が盲目になっても噺をすると高座で云ったって事を心配しているんだよ。病院へ一緒に行くから良い医者に診てもらいなさいよ」と勧められたそうです。続けて正蔵はこう書いています。「平常お点の甘くない人からの云い条なので天の邪鬼の私はすぐ手術をした。安藤さん有難う。合掌」
律儀な稲荷町の人柄を示す、いい文章だと思います。
安藤鶴夫は、人呼んで「かんどうするお」というくらい、とても愛の強い文章を書きます。絶筆となった『三木助歳時記』など、今読んでもいいと思いますね。
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