文楽が出口の家にやって来た時の思い出話をSuziさんがしてくれた。以下に記す。
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新宿の牛込だったかのアパートに伯父にアイススケートの靴買ってもらいたくって行ったんです。訪ねていったときにお会いしました。
何か欲しいと平気で「買ってよーー」って言うので、伯父にこう言われました。
「お前が言ってくるのはいいんだが、お前はいつも高ェ物ばっかりねだりやがる。この間はスキーだ、今度はアイススケート靴。それもホッケーシューズだと?! 俺は戦争中朝鮮で滑ってるから少しは面白ェのは解るけど・・・、オッ!これは弟の娘でして、跳ねっかえりでしてねえ・・・」と紹介されたんです。
「元気が良さそうですなあ」と答えた黒門町に、「こんちわ」ぺこりと頭下げた私。そうやってお会いしました。
どういう訳か文楽さんは最初っから私を可愛がってくださり、「ウン、元気が良い子はいいよ」と言ってくださいました。
何だかんだと、これもおかしなことから落語の話かなんかを、生意気にも黒門町とし出して・・・、伯父が「お前なあ・・・」と制止するのですが、私には文楽さんも偉いサンも同じ伯父のところにたまたま居る師匠、って感覚で(ま、そういう一切お構いナシの子でしたが・・)、それが師匠に受けたのかもしれません。
私はこういう子だったおかげで(?)円生さん、金馬さん、志ん生、皆かわいがって呉れました。伯父もハラハラしながらですがそのうち放っておいてくれるようになり・・・でした。
黒門町は背の高い人ではなく、もうその当時すでにおじいちゃんのお年でしたが(私から見て、だって中学生か高校生ですから)、眉毛が長くて・・・それが最初のウヘッ!?って印象。物静かな方で、ちょっと他の落語家さんとは違い、インテリジェンスがありそう!っていう印象でもありました。それにとってもシックなグリーンのブレザーかなんか着て、カッコよかった、モダンな上品なおじいちゃんに見えました。そうそう確かにTBSのバッジが襟にとめてありましたよ。
そして話していくうちに・・・師匠の甘納豆のあの調子が大好き!!って興奮して言ったんです。
そうしたら、「お嬢ちゃん、あれもね、いろいろやり方があるんだよ」と黒門町が応じてくれたので、私は「ヘェーー???」って言ったんです。
「小粒のね、小豆があるでしょ、あれはね小さいでしょ、だからこう手の先に持ってね、チョチョッと、早く小刻みに口に放り込むのよ」
「へエーー、やっていいですか?」
「どうぞ、どうぞ」ってんで、私がシュシュッと食べる真似した。
すると、「上手い!上手いよ!」って褒めるんですよ。
「すみません」
「いやホントだよ、お嬢チャン、男だったらいいのになあ」ってマジで言ったんです。
伯父はあきれて、ビックリして見てました。
そしたら又続けて「大きい豆があるでしょ、あれはね大きいから沢山持てないし一個かせいぜい食べたって2個、だからチョッとゆっくりと口に運ぶの。時にはじっくり噛むじゃないですか、だからこうなんだよ」って又教えてくれた。
私もすぐに真似た。何しろ子供の時から人の癖を真似るのが得意な子で、ま、言うなれば私は太鼓持ち的な子供でしたから・・・すぐやった。
「上手い!すごいなあ、オセイジじゃない。惜しいなあ女の子で」
(当時女で落語家になろうなんて子は居ませんよ)そんなエピソードがあります。
伯父は文楽さんが帰って行った後、少し驚いて私に言ったんです。
「お前なあ、黒門町があんなことするってのは、後にも先にも俺は初めて見たぞ。驚いたよ」
私はただ「フーーーン」てな感じでした。
父にも帰宅後話したら父も、「お前ってヤツは・・・」ってビックリしてました。
きっと今頃あの辺の斜め上の方から、「又おいで、」って言ってくれるような気がします。そうしたら今じゃ《天上女子落語会》だって出来るでしょう。会長にでも納まろう!って夢見るのも悪くないですね。今度はおつまみだってなんだって出してあげられるし(私は写真の次にか、同等くらいに好きなのが料理、なんでス)
だってものすごく物静かに教えて下さって、って印象なんですよ。
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無邪気な若い娘さんに相好を崩す文楽師匠。それが生き生きと描かれている。それにしても羨ましい体験だなあ。
Suziさんは志ん生、圓生、先代金馬にも可愛がられたという。彼女の、彼ら「昭和の名人」についての感想も聞いてみた。寸評は次の通り。
「志ん生さんは、いつも酔っ払ってて、長屋の熊さんのお父っつあんみたいな人。小柄ででころころしてた。(でも太っているというのとは違います。どういったらいいんでしょうか?ポッチャリ型、です。貌から来る印象が今そんな風な記憶になっているのかもしれません。)時には高座で話し忘れちゃって・・・、今何話していましたっけ?なんてお客に聞いたりして・・・それが又受ける人でしたね。むちゃくちゃだけど憎めない、子供みたいなところがあって。何やらかしてもみんなが許しちゃう、そんな人。奥さんが兎に角偉かった。伯父もあんな良い内儀さんはいない。志ん朝、馬生があんなによく育ったのも内儀さんのおかげ、っていつも言ってました。
円生さんは、粋な感じで背が高く色男。女性に人気があったんじゃないでしょうか。でも細かくってケチなところが一杯在る。だから金持ち。式服用の靴はコードバン履いてました。高座でもいつも話しながら襟をしょっちゅう直しているくらい神経質な人、という印象です。
金馬さんは、出っ歯の金馬とも口の悪い人は言いました。こまっしゃくれた子供の出てくる落語をやらせたら天下一品でしたね。
小さんさんは、(がっちりした体つきでした)。剣道好きで自宅に道場があった。おかみさんも強くて。実際にバンバン手を出してけんかしちゃうくらいな人。でも夫婦仲は兎に角円満でした。」
文楽・志ん生・圓生・金馬・小さんなんてところが、始終出入りしている環境なんて、想像もできないなあ。
出口一雄という人は、彼ら昭和の名人たちと堂々と渡り合い、信頼を勝ち得ていたんだな。その大きさに改めて感じ入る。
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