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2016年6月5日日曜日

小柳枝の話

Suziさんが、いずれ「伸治と小柳枝の面白い話」をしてくれるというので楽しみにしていた。
この小柳枝は何代目であろうか。
Suziさんはこう言う。

「私の知っている小柳枝は確か千葉の人です。青白いうらなりの瓢箪みたいな顔していた記憶があります(口の悪いのは生まれつきでして、スミマセン)。この人もオッチョコチョイの人でしたね。少し変人的なところもありました。」

まず七代目で間違いない。色川武大のいう「しょぼしょぼの小柳枝」である。
千葉県野田の出身。はじめ七代目林家正蔵(初代三平の父、九代目正蔵の祖父にあたる)門下で正太郎といった。その頃の彼について色川は「老練の味を出そうとして、なんの話をやってもしょぼしょぼしており、聴くのにかなりの努力を要する。(中略)当時、内心で、駄目な若手というといつも正太郎をまっさきに思い出した。」(『寄席放浪記』より)と書いている。
その後、六代目春風亭柳橋門に移り、昭和24年には小柳枝を襲名した。奇人として知られ、その粗忽さを示すエピソードは数多あるという。
その「しょぼしょぼの小柳枝」が化けたのだ。「化ける」というのは停滞していた芸ががらっと変わり、一気に開花することをいう。立川談志はCD集「ゆめの寄席」の中に小柳枝の『子別れ(上)』を入れて、「三代目柳好を思わせる歌い調子」と評した。色川は、その「化けた」後の小柳枝を、前述の『寄席放浪記』の中でこう言っている。「正太郎時代とは打ってかわって、華やいだテンポがあり、洒脱で、上ッ調子で、いったん転がり出すと限度知らずにハメをはずしてしまいそうなおもしろさを含んでおり、甲高い哀しい、いい声で話の中にはさむ音曲もいい。」
しかし、活躍の時期は短かった。やがて小柳枝は、糖尿病と結核を患う。糖尿病は栄養を摂ってはいけない病、結核は栄養を摂らくてはならない病である。それじゃどうするんだ、といって同僚から笑われたらしい。 

「糖尿病になって父のところに来たので知っているだけで、高座も何も見ていません。」
Suziさんの父君は、出口一雄の弟。 日本医科大を出て医者になった。長男の一雄に代わって両親と同居し出口家の後を継ぐ。彼もまた兄一雄の関係で芸界と深いかかわりを持っていた。 

「可笑しな話というのは、父が何度言ってもなかなか食べものに合点がいかない人で、『でんぷん質=ご飯とかパン』という感覚は全くない人で、品物一つ一つ言わないとダメでした。
『小柳枝さん、糖尿病はね、パンとかうどん、ご飯はダメだよ。お芋とかジャガイモもダメ。兎に角野菜や魚、脂肪の少ない肉をとりなさいね』
『へい!わかりました』 と帰っていきました。
そして1、2週間後の再診の日、
『先生!今日は絶対、絶対糖は少ないですよ。言われた通りにやってきました!』
『そうかい、すごいなあ。俺も糖尿病だけどね。俺は飯より飲みたいんで、飯なんて1日にピンポン玉1個分くらいなんだよ』
『へエーー、先生も大変ですねえ』なんて会話になりました。
『先生、自分は自信持ってるんですよ。うどんでしょ、ご飯でしょ、パンでしょ。みーーんな食べないね、今回はソバをずーーーっと食ってましたから』
『エ!なんだって?小柳枝さん、ソバをうんと食ったのかい?』
『だって先生、うどん、飯、パンは。ダメなんでしょう。だからね、ソバをバッチリ食べて腹持たせました!』
・・・・・・・・・・・・・・・・
『俺はポカンとしちゃたぜ』 と夕飯の時に話してくれたことがありました。こんな人でした。
今と違って落語界には本当に全く違うプラネットから来たような芸人さん、てのが居ました。それもわざとじゃないんです。これが地なんです。だから小柳枝さんの場合いくら食事療法を教えてもぜんぜん通じないんですよ。
『先生!無理、無理!腹減っちゃってねえ、食っちゃいました』
だから絶対に糖なんて下がらないんです。 そういえばこんなことも父は言っていました。
『俺がナ、あれもこれもダメ、こうこうこういう風にバランスをとって腹の減らないように・・・とかイロイロ言うだろう。そうするとナ、小柳枝は結構カッカと怒るんだよ。“先生。腹減っちゃ死んじまいます!”ってくってかかるんだ。こっちがいくらやり方を教えたってダメなんだよ。あれじゃ早死にすんだろうなあ』
何で亡くなったか正確には私は子供だったから知りませんが、『小柳枝は長生きは無理だろうなあ』と父はよく言っていました。」

Suziさんのお父上の予言通り、小柳枝は昭和37年に42歳で死んだ。 

立川談志が監修したCD集『ゆめの寄席』に収められている、小柳枝の『子別れ(上)』(別名『強飯の女郎買い』)を聴く。13分とコンパクトにまとめられたそれは、色川武大の言そのまま。華やかなテンポ、軽快なリズム、明るくて軽くて底抜けに楽しい。途中に入る端唄「夜桜」も粋なもんだ。何より「三代目柳好を思わせる歌い調子」が快い。近年の「一人演劇」「一人コント」の落語とは一線を画す、懐かしい落語である。
春風亭柳昇、桂小南の一つ下、柳亭痴楽とは同い年だった。芸術協会になくてはならない人になるはずだった。七代目春風亭小柳枝の早逝を惜しむ。
それにしても、「弁松の弁当」、旨そうだなあ。

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