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2018年2月21日水曜日

初めて煙草を買った夜

小室等の『一匹のカニ』という歌を聴くと、ケンジを思い出す。
ケンジはこの曲が好きだと言っていた。

ケンジとは高校で、3年間一緒のクラスだった。
仲良くなったのは、2年の時だった。
その頃私は、好きな授業以外は、こそこそと教師や友人の似顔絵やイラストを描いているような、いけ好かない生徒だった。たまたまケンジと近くの席になった時、私の描いた絵がケンジの目に留まる。ケンジも絵を描くのが好きだったのだ。
授業が始まると、ケンジはB5の計算用紙を半分に切って私にくれた。その紙で、お互いにイラストを描く。授業が終わると、同好の士、4人ほどで、作品を見せ合った。(作品と言うほどのものではないけど)私が描いた絵は、全てケンジにあげた。
卒業間近のある朝、ケンジが私に1枚の絵をくれた。それはいつもの半分に切った紙ではなく、B5全部を使っていた。前の晩描いたのだという。そこには、彼の自画像と思われる男の横顔と、比較的長い文章が書いてあった。「君は今生きていることが、実は長い夢を見ているのだと考えたことはないか」というフレーズが印象的だった。
卒業後、私は東京の私大に進み、ケンジは地元の電電公社に就職した。

大学1年の秋だと記憶している。
世之助くんとあと誰かいたな、新宿で夜明かしして飲んだことがあった。夜明け前の喫茶店で始発を待ちながら、私は世之助くんから貰って、初めて煙草を吸った。
それから、川崎のアパートに帰って、その晩、家から大家さんの所に電話が来た。呼び出されて電話口に出た私の耳に、ケンジが事故で死んだという知らせが届いた。
明日が葬式だという。朝に帰ると返事をした。
その日には校内寄席があり、私は前座で出る予定だった。誰かに連絡しなければならない。部屋に戻って部員名簿を持って、大通りの公衆電話に走った。同輩の酒合丈くんにかけたが留守だった。楓さんとようやくつながり、明日はこういう事情で欠席しなければならない旨を伝えた。
部屋に戻ったが落ち着かない。小銭をつかんで表に出た。大通りにある煙草屋の自動販売機で、生まれて初めて煙草を買った。マイルドセブン、150円。そうすることで、私はケンジの死を記憶に刻みつけたかったのかもしれない。
部屋で一人、鯖の缶詰の空き缶を灰皿代わりにして、私は煙草を吸った。煙草を吸いながら私は多分、あのケンジから貰った絵を取り出して眺めたのだと思う。

葬式にはほとんどのクラスメイトが集まった。
ケンジの家は和菓子屋だった。ケンジは、店の売り上げだか商品だかを盗んだ泥棒を車で追いかけ、田圃に突っ込んで死んのだ、と誰かが言っていた。
私はその日のうちにアパートに戻った。

翌日、部室に行くと、先輩は「大変だったな」と言ってくれた。
しかし、活動の最後、幹部の先輩は私を起立させ、こう告げた。
「楽家伝助、無断休席につき1カ月の出演停止とする」
そうしてその後で、その先輩は優しく言ってくれた。「トリの方に直接連絡しないと、無断ということになっちゃうんだ。決まりだから仕方がない」

新盆だったか、一周忌の頃か、一緒にイラストを描いていたSと、ケンジの家を訪ねた。
ケンジの妹が、私たちが描いた絵を見せてくれた。
ケンジはあの絵を全部、取っておいてくれたのだ。懐かしさで胸がいっぱいになった。

ケンジがくれた絵は、それを挟んでいたノートごと、いつの間にかどこかへ行ってしまった。

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