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2018年3月27日火曜日

おぬま食堂 ぶた丼とラーメンのセット



鉾田市、おぬま食堂、ぶた丼とラーメンのセット。850円。
ラーメンは、「鶏しょうゆ」と「塩」が選べる。


今回は「塩」を注文。胡麻油の風味。旨し。


チャーシューは鶏ですな。
ぶた丼はこちら。


温泉卵と紅ショウガがうれしいね。豚肉は鉾田ブランド、「まごころ豚」です。


甘辛のたれに温泉卵を絡めて・・・、たまんないなあ。唐辛子がぴりっと利いて、旨し、であります。


店内もなかなかいい雰囲気でしょ。
店構えはこちら。しぶい。


落ち着くし、メニューも多い。普段使いにいいお店です。

2018年3月25日日曜日

春のお散歩

一昨日、職場で小指を怪我した。昨日の朝、様子を見たら、まだ血が止まっていない。そのまま妻に病院に連れて行かれる。結局、3針縫われた。
今日はその処置ということで、また病院に行く。
妻子には、「時間が読めないので、そちらはそちらで買い物にでも行ってお出で。自分はぶらぶらしてどこかでお昼を食べて来るよ」と言っておいた。
処置が終わったのが11時前。昼まで少しあるので、石岡を散歩しよう。

中町の駐車場に車を止め、まずは金比羅様にお参りする。



それから国府公園に入る。子どもたちが小さい頃はよく利用させてもらった。

桜が咲き始めた。

こぶしが満開だった。

国府公園の裸婦像。たくましい。

あとは適当に1時間ほど街中をぶらついた。いい天気。暖かい。春の日差しが降り注ぐ中、古い街並みを愛でながら歩く。










そろそろ昼時。あまり開いている店がない。守横町の珍来に入る。よく写真は撮っているけど、店に入るのは初めてかな。


昭和で時が止まったような店内。客は私一人だが、数件出前の電話がかかっていた。
一通りメニューを見て、炒飯を注文。旨かったよ。

炒飯、550円。

正しい町の中華屋さんの炒飯である。

1時頃帰る。
ベニー・グッドマン、ドノバンのレコードを聴いていると、妻子が帰って来る。
コーヒーを飲みながら、お土産のシュークリームを食べる。
夕方ビール。
夕食は、鶏のタレ焼、いただきもののカラスミ、フナの甘露煮、トマトと卵の炒め物で燗酒。

2018年3月23日金曜日

笠間稲荷の奉納額、大絵馬

笠間稲荷神社の奉納額や大絵馬が面白い。
今回は、絵を中心に紹介していく。

まずは拝殿にあるものから。

役者絵かな。明治34年のもの。文字がほとんど消えている。

新治郡の真家さんが奉納したもの。
支店は東京市本所八丁目にあり常陸屋を名乗っていたらしい。
商売繁盛の様子。俵を運んでいる。

お次は楼門にありました。

大正5年に亀田さんが奉納した。
何の場面かは私には分からない。

弘化3年丙午(1846年)、常州茨城郡の佐久間さんが奉納した、左馬。

最後は、楼門を出てすぐの所にある、絵馬殿のもの。ここの奉納額や大絵馬はすごい。ずーっと見てても飽きません。
目立たないけど、お勧めのスポットです。

下妻太々講が奉納した。「竹園繪」とあった。
胸をはだけた女を天狗らしき者が見つめる。消えかかっているが、女の背後には群衆がいる。
いったい何の絵だろう。

東京納額会が昭和7年5月に奉納した、100面のうちの29番目らしい。

こちらも商売繁盛の様子か。文字が消えていて詳細は分からない。
障子に「加賀屋」とあるのが、かろうじて見える。

これも詳細は分からず。浅間神社(?)宮司玉野何某謹画とだけ見える。
天孫降臨の場面であろうか。

東京牛込水道町の戸部さんが、明治38年3月に奉納した。
火事の場面らしい。絵の上部に説明らしきものが書いてある。
よく読めないが、「明治37年1月25日」とか「風はげしく」とか「ごりやく」とか書いてある。
火事に遇って御利益により難を免れたお礼に奉納されたものだろうか。

昭和8年1月、茨城県下妻町の加藤さんが奉納した。

常陸太田青物市場による奉納。

よく読めないが、明治時代のものらしい。中国の武将のようだ。

古銭で鳥居をかたどったものも、いくつかあった。
お稲荷様は、五穀豊穣、商売繁盛、殖産興業、開運招福、防火などの守護神として広く信仰を集めております。それだけに飾られている奉納額や絵馬もすごい。参詣の折は、ぜひ見ていただきたいと思います。

2018年3月20日火曜日

立川左談次を悼む

立川左談次の訃報を知る。19日21時20分、食道がんのため息を引き取ったという。67歳だった。
前回の記事で私は左談次について触れていた。投稿時間は19日21時31分。まさに彼の臨終の時間帯に、彼のことを思い出していたことになる。そう思うと感慨深い。

私は学生の頃、立川談志が池袋演芸場で主任をとる時には必ず観に行った。
小田急線で新宿に出て山手線に乗り換え、途中、高田の馬場の「ポルノ噴水」に目を遣りながら池袋まで行く。西口に出て、まずは吉野家の牛丼で腹ごしらえをし、テケツで入場券を買うと階段を上り、畳敷きの客席に座る。
私が行くのは前座が上がるちょっと前。その時間帯はまだがらがらで、好きな所に座ることができた。そんな時代だったのだ。(何年か前、柳家小三治が池袋演芸場で主任をとった時、開場1時間前から並んだけど、もはや立ち見。消防法に引っかかるんじゃないかと思うような超満員だった。)
当時、池袋演芸場は客が入らないことでは定評があった。そんな所で談志は自ら主任を務めて客を集め、若手に出演の機会を与えたのだった。
だから、出演者のほとんどは二つ目だった。真打では、春風亭一柳や川柳川柳、柳家小満んなどが出ていたな。私は二つ目時代の柳家さん喬の『棒鱈』を聴いて、巧いなあと思ったのを覚えている。
当然、談志門下もよく出ていた。立川談十郎(現土橋亭里う馬)、立川談生(現鈴々舎馬桜)、朝寝坊のらく(現立川ぜん馬)、立川小談志(故喜久亭寿楽)などはおなじみの面々だったし、もちろん左談次もその中にいた。
しかし残念ながら彼らの印象はほとんどない。私は当時、メモや日記、写真など記録に関することを一切しなかった。寄席の番組表などもすぐに捨てていた。記憶力には自信があったのだが、それでも忘れるものは忘れる。今さらながらに、もったいないなあと思います。
左談次に再会したのは上野広小路亭で、立川流一門会という興行だったか。まだ二つ目だった立川談生(現談笑)がトリで、快楽亭ブラックやモロ師岡なんかが出ていた。
前回の記事で書いた通り、左談次は『読書日記』で、こぶ平の『通になりたい』を俎上に上げてバカウケしていた。ちょっと斜に構えたような、クールな感じが、よかったなあ。
ブログを見つけて、しばらく読んでいたけど、こちらも飄々として面白かった。(『さだやんのほろ酔い日記』、今読んでみたけど、やっぱりいいな。昨年の秋に「落語家生活五十周年記念特別興行」を見事にやり遂げていたんだ。)
熱心なファンというわけではなかったし、結局、自分の思い出話しかできなかったけど、立川左談次師匠、好きでした。ご冥福をお祈り申し上げます。

2018年3月19日月曜日

一寸亭 もやしそば

先日、谷中を歩いた時の昼飯は「一寸亭」にした。
日暮里で降りたのが昼近くで、早めにお昼にしたかったのと、雑誌『東京人』で林家正蔵が連載している「四時からの悦楽」で紹介されていたのが、頭の隅に引っかかっていたのが、その動機であった。
「夕焼けだんだん」を下って、谷中銀座から左へちょっと入った所に「一寸亭」はある。


場所は知っていたが、入るのは初めて。私は人見知りをする性質だが、店に関しては割と平気。がらっと入って、カウンターに座る。
12時前とあって、先客は5人ほど。まずはビール。キリンとアサヒと両方あると言うので、迷わずキリンを選ぶ。つまみには味付けメンマ。これが旨い。



「四時からの悦楽」では、正蔵は中華風冷奴で生ビールを飲んでいたが、私は昼飯、ささっと食事にしよう。こういう中華屋では、餡かけ系にそそられる。もやしそば、800円を注文。
ほどなくやってきた「もやしそば」がこれ。



一口すすって、思わずうなる。旨いねえ。太めの麺が餡に絡む。もやしの長さもほぼ同じ。ここまでこだわっているんだな。
正蔵の食べ物やジャズに関する文章は、けっこういい。彼は昔、こぶ平時代に『通になりたい』という本を出していた。これを立川左談次がネタにして「あのこぶ平が気取りやがって」的な切り口で、大いに笑いを取っていたけど、今はそんな臭みもなくなってきたな。何より普段からいいもん食ってるからね。旨い店をよく知ってるよ。正蔵の舌は信用していい。
厨房を見れば、同じような顔をした男が三人、鍋を振るっている。こういう人生もいいなあ、とふと思いましたよ。

2018年3月17日土曜日

子どもたちを連れ、笠間に行く

朝、きつね丼、味噌汁。
今日は妻がお出かけ。大学時代の友達に会いに東京へ行った。
私は息子二人を連れて笠間に行く。
佐白山麓公園駐車場に車を止め、稲荷神社へと向かう。
途中、大石邸跡を通り過ぎる。いつの間にか大石内蔵助義雄の銅像ができていた。


播州赤穂浅野家は、赤穂に行く前は笠間にいた。内蔵助の祖父の代までは大石家も、この佐白山にほど近い所に屋敷を構えていたのである。
子どもたちに「忠臣蔵」を知っているかと尋ねたら、「ねこねこ日本史」で知っていると答えた。
日本三大稲荷のひとつ、笠間稲荷神社にお参り。


国の重要文化財、御本殿を見せる。


次男は、色んなものが彫ってあってすごいねえ、と言う。ほんとにそうだよな。いい所に目を付けた。


境内に飾ってあった絵馬を見る。昭和のスターがずらりと並ぶ。



 奉納額やら彫刻やらを見ながら境内をぶらぶら歩く。




天岩戸伝説ですな。

そろそろお昼。門前の蕎麦の老舗、柏屋に入る。


創業100年を超えるという。店内も重厚な造り。


私はざるそば、子どもたちはたぬきそば。一人一つずついなり寿司を食べる。




食後にお向かいの「幸せだんご」でデザート。長男は草団子、次男はあげ団子、私は磯辺を食べる。
こういう街歩きが、子どもたちも好きみたい。特に次男は、「こういう所好きなんだよね」と言いつつ、ばーしばし写真を撮っていた。



それから駐車場に戻り車に乗り込み、せっかくだからと佐白山の城山へと向かう。
駐車場に車を止め、ついつい頂上の笠間城天守跡まで登ってしまう。






笠間城が築城されたのは承久元年(1219年)。典型的な山城だ。戦乱の世には何度か戦闘もあった。天守跡に鎮座する佐志能神社は、明治維新で廃城になり、取り壊された天守の廃材が使われているという。
佐白山の標高は182m。いい運動になりました。

夕食はおでん、小肌の昆布締め、ポテトサラダで燗酒。
妻は7時ごろ帰った。
寝酒にジョニーウォーカーを飲む。