著者、柚子冬彦は県内阿見町在住の農民作家。牛久助郷一揆を題材にした『地鳴りよ永久に響け』という歴史小説も書いている。
本書のあとがきで筆者は、最初、竹内百太郎か岩谷敬一郎を主人公に書くつもりだったが、竹内は最後まで天狗党幹部だったので、他の天狗党関係のものと違いが出せず、岩谷は貴重な生き残りだが、水戸城攻撃で失態を演じたので気が進まない。そこで、紀州屋の養女大久保たかに目をつけ、彼女の口から語らせるという体裁を取った、と言っている。だから、この本は史書と言うより、小説と言った方が適当だろう。ただ、取材量は豊富、歴史観も確かであり、読み物としてもおもしろい。時系列に整理されてて、天狗党事件を知るのに、とてもわかりやすい本だと思う。(あえて難を挙げれば、大久保たかが語っているというより作者自身が語っているような印象を与える部分が見られるということか)
紀州屋の女主人、大久保いくは、天狗党旗上げの首謀者、藤田小四郎から「おふくろ」と言われて慕われた。紀州屋には小四郎以下多くの志士が宿泊し、尊攘派の梁山泊といった様相を呈していた。
紀州屋があったのは、新地八軒と言われた所で、水戸徳川の支藩松平家が治めていた府中(石岡)の町の外れにあった。現在の金丸通りにある、鈴の宮稲荷神社を起点に東に向かって、街道の両側に八軒の妓楼が並んでいた。石岡市民俗資料館(現ふるさと歴史館)蔵の図では、稲荷神社隣から、金升屋、紀州屋、近江屋、松屋と並び、稲荷神社はす向かいから、三好屋、井関屋、山本、大和屋と並んでいる。この街道は、小川を通って潮来へと至る道で、現在の国道355号線の原型になったものと思われる。
妓楼とはいっても、いわゆる女郎屋ではない。料理屋と旅館を兼ねた店である。宴席に侍らす遊女を抱えていた。『筑波の義軍』によると、紀州屋では遊女3人、飯盛女を合せて6、7人の女がいて、その他に番頭が2人、料理人が2、3人いたという。
元治元年の天狗党挙兵の際は、新地八軒の各所の外に、陣屋近くの照光寺や東輝寺などに分宿した。そして3月27日、73名(楠氏が湊川で自刃したのが73人であったという故事にちなんで、人数合わせをしたのだという)が集結し、鈴の宮稲荷に目的遂行を祈願、筑波山へと向かったのであった。
普段散歩している何てことない小道に、とんでもない歴史が潜んでいたりする。石岡という街は実に奥が深いねえ。
鈴の宮稲荷神社。
新地八軒があった街道。(金丸通り)
稲荷神社の隣の空き地が新地八軒跡とのことである。
かつての新地八軒の写真。
照光寺。
ふるさと歴史館には刀傷がついた照光寺の柱が展示されている。
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