伯父が戦地から送ったものはなかった。残念ながら伯父の肉声を感じることはできなかったが、友人や親戚が書いた文章から、多少なりとも伯父の人間性が立ち上ってくる。
ワープロに起こしてみたので、紹介してみたい。
なお、旧字は常用漢字に、歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに改めた。手書きであるため、判読できない文字も幾つかあったので、それは「不明」としておいた。
では、まず伯父の出征前。戦地に赴いた友人からのものである。
「拝啓 先日は御手紙有難う。早速御返事をと思い居りましたが、元来の筆不性故遅れました。御許し下さい。月日の立つのは早いもので、去年貴君等と同窓会の云々にて**先生等と学校の火鉢を囲んだが、又今年も囲む候となりましたね。君の言われた様に今月の三十日に休暇許されましたよ。其の節は何分宜敷く願います。貴君の家等ではもう野良の仕事も片付いたでしょう。我々は年の暮で新年を迎える準備です。今日は旗日にて半(一字不明)外出、下宿でのんびりして居ります。**君にも御無沙汰して居りますから君より宜しく。先ずは右御返事迄。草々
谷田部航空隊二十分隊電気部 **** 昭和14年12月25日」
日付がはっきりしているものでは、これがいちばん古い。
伯父は大正9年の生まれだから、この当時19歳だったはずだ。
これ以降と思われるものは、全て外地からの便りとなる。
「其后御無沙汰ばかりで誠に失礼。
其后相変わらず元気だろうね。俺も相変わらず元気百倍。
内地も随分寒くなったでしょうね。 北満虎頭も零下二十度位で大したこともない。若い僕等だもの、平気。
君も御自愛の程。又いずれ。
東安省虎頭木村部隊福富隊 ****」
「三月三十一日附き端書有難く拝見致しました。お便りに依れば貴君には至極壮健にて農業生産拡充に非常の努力を画し居たる由、誠に御苦労様です。御陰様で頑強にて勤務致し居ります故、他事乍ら御安心の程。此方等は真夏にて百二十度位して居ります。小麦や麦の収穫等は一ヶ月も前に終わり田植えも修了した様です。胡瓜や茄等出来盛りです。青年会の方は本年は何か計画が出来ましたか。しっかり頼みます。それから支部の皆様にも宜敷くお伝えください。呉々も身体を大切に御奮斗を祈る。南国の端にて北斗星を望めば雲覆わる。
南支派遣基第二八〇三部隊野口隊 **** 昭和17年4月24日」
伯父も青年団で活動していたんだなあ。この人は青年団活動に熱心だったようで、この葉書に先立って、団員一同宛にこんなことを書いている。
「拝啓 暫く青年会の皆様には御無音致して終いました。悪しからず。又此の度は御丁寧にも御繁忙中もいとえなく私留守の為勤労奉仕をなし下されたる由を**君のお便りにより判明致し、誠に御苦労様でした。内地の青少年団殊に青年団の責務、日英米開戦に依り一段と強化されたる事は及申さる事と思います。支部としても**君、北支(二字不明)員行き、**君、**君の入営と相続いて職業戦線に或いは戦地と青年団より送り出す誠に喜ばしい現象であると共に、又一方に於いて**君(注:職業戦線に赴いた人)の様な事は此の際考えるべきものが多々有ると思われます。農村に生まれたる以上は此れ天業と思い、次男三男も村に残り農業生産の原動力となりて此の大東亜戦争遂行に邁進すべきが真の青年道ではなかろうかと思われます。つまらぬ事を書き立てましたが、農村青年は農村と言う物を真に理解しなければなるまいと思います。今後も銃後運動に御協力の程願い上げます。先ずは御礼事と一寸思いついたる一事を。
南支派遣基第二八〇三部隊野口隊 **** 1月14日」
「一白無事御書面拝見いたしました。久しく小兵御無沙汰致しまして誠に申し訳有りません。悪しからずお許し下さい。お便りにて貴君方も皆元気にお働きの事何よりと思います。小兵も御陰様にて幸い元気に変わった北支の一角に(二字不明)致しております故、何卒御安心下さい。細かい事種々お知らせしたいのですが、今の所書く訳にも行かず、追って申し上げるつもりです。農事も日に増々御多忙の事でしょう。支那には桜もなく花見も出来ません。支那名物の柳や名も知れぬ立木が有るだけです。では暮々もお体に御注意し銃後の一員としてお働き下さい。先ずは乱文乱筆にて一寸御返事まで。さようなら。
北支桜井部隊(一字不明)村部隊小池隊 **** 5月3日」
当然、葉書は検閲済みである。葉書の表には検閲印が押してある。「細かい事種々お知らせしたいのですが、今の所書く訳にも行かず、」とはその辺りの事を憚ってのことだろう。
葉書は全て返信。伯父が律儀に戦地の先輩や友人に便りを書いていることが分かる。青年団の先輩からも「しっかり頼みます」と言われるような実直な人柄だったのだと思う。
中国北部から絵葉書である。 |
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