ラブホテル街を抜けて、最初の目的地、子規庵へ行く。
正岡子規の終の棲家を復元保存している。
入場料500円を払い、上に上がる。入ってすぐが客間。ここで説明VTRを見る。
ガラス戸が明るい。明治時代には珍しいガラス戸。脊椎カリエスで寝たきりの子規にせめて外を見せてやりたいと門弟が入れたという。
向かって左奥が「病牀六尺の間」。子規の病床があった所だ。ここから、絶筆三句に登場する糸瓜が見える。
文机には正座ができない子規が立膝を出来るように、切れ込みが施されている。
悲惨な状況の中、あくまで生き抜いた子規に思いを馳せる。
子規がこの家に越してきたのが明治27年、これは八代目桂文楽、並河益義が帰京した年である。以前にも書いたが、子規が死んだ明治35年に、益義少年は奉公に出され根岸を去る。子規庵に子規が住んでいた時期は、文楽が根岸にいた時期とほぼ重なる。文楽の幼年時代、同じ根岸に、子規を慕い、高浜虚子や河東碧梧桐、長塚節、伊藤左千夫、夏目漱石など錚々たる文人が集ったのである。想像するだけでも興奮するなあ。
漱石と子規のパネル。 子規を触媒として、漱石は文学に志す。子規なくして文豪漱石は生まれなかったと、私は思う。 |
子規庵の向かいは書道博物館。洋画家、中村不折の旧宅にあたる。これも入場料500円を払って中に入る。時間をかけて見たかったが、お昼の時間が迫り空腹を覚えていたので、ささっと見てしまう。次はじっくり回りたいと思う。
昼食は根岸小学校近くの、気になっていたこのお店で、ビーフカレーを食べる。
昼飯については改めて「飲んだり食ったり」で紹介します。
今日はここまで。次回に続きます。
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