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2020年3月29日日曜日

3月最後の日曜日に雪が積もった

昨日までぽかぽか陽気だと思っていたら、今日は雪、しかも積もった。天気予報で言ってはいたが、まさか当たるとは思わなかったよ。


下の畑の桜も見頃を迎えていたが、満開の桜に雪景色という、めったに見ない光景となった。



霞ケ浦は湖面から靄が上がっていた。



団鬼六の『真剣師 小池重明』、先日読了。賭け将棋を生業とした真剣師、異能の天才小池の波乱万丈の人生に圧倒される。彼の終焉の地が、茨城県石岡市。彼が働いていた焼肉屋「七輪亭」は「風々亭」と名を変えて現存している。

『芸術新潮』に「つげ義春、フランスを行く」という記事が載っている。アングレーム国際漫画祭特別栄誉賞受賞、原画展のための渡仏。つげとフランスの取り合わせがすごい。それでもつげ義春は、あくまでつげ義春、面白い。
息子の正助氏のインタビュー記事も掲載されている。映画に出演していたか。母親の故藤原マキさんは女優だったからね、母親譲りかな。あのつげ作品でおなじみの「正助くん」が、と思うと感慨深い。

世界は新型コロナウィルスで大変だ。どうやら我々は世界史的な毎日を過ごしているらしい。
その中で、殿様は威勢のいい言葉を並べ立てている。でも中身はよくわからない。アメリカさんやお友達には国のお金をばんばん使うのに、この国で生活するみんなのために使うのは嫌みたいだ、ということだけは伝わったよ。

2020年3月28日土曜日

土浦 八坂神社


土浦市真鍋にある八坂神社。
社伝によると、筑波の大形から降った御神体を、桜川付近で嘉左衛門、弥次兵衛という二人の漁夫が拾い上げ、天王松に祀ったのが起源という。その後、真鍋の地に牛頭天王社としてこの地の鎮守となった。江戸時代になって北西向きだった社殿を南向きに変え、土浦城の鬼門を守った。明治5年(1872年)、神仏分離によって祭神を素戔嗚尊とし、名を八坂神社と改めた。

拝殿

本殿

見事な彫刻。
享和元年(1801年)のものとのこと。


境内社には招魂社がある。


初めてのお参り。前は何度か通っていたんだけどね。

2020年3月25日水曜日

圓蔵師匠の教え

新型コロナウィルス感染拡大防止のため、鶯春亭梅八さんの主宰する「なんじゃもんじゃ江戸や亭」は休席。それでも稽古会はやっている。
昨夜は久々の参加。子どもたちの受験で落ち着かなかったので、お休みしておりました。
それぞれに一席演じて、梅八さんに批評をもらう。これが楽しみなのだ。自分以外の批評にも、色々気づかされることが多い。
梅八さんは、落研の大先輩。よく「圓蔵師匠にはこう教わった」とおっしゃる。
「圓蔵師匠」というのは、先代の七代目橘家圓蔵。私たちの大学の落研の創設当時から1980年(昭和55年)に亡くなるまで、技術顧問を務めてくださった。
その教えのひとつひとつが、具体的で的確なのである。
以前、私が『うどんや』を稽古していた時、屋台の主と客の上下で迷った時があった。ネットの動画で確認してみると、柳家は客が上にいて主が下、三遊亭はその逆だった。どちらが正しいのでしょうと質問してみると、梅八さんはこう答えた。
「一般的には柳家の方でやる。だけど、圓蔵師匠は『どっちでもいい』と教えてくれた。なぜなら、屋台は道の両側にあるからな」
なるほど、屋台は道の片側にあると決まったものではない。だとしたら、上下どちらでもいいわけだ。すとんと腑に落ちた。
「早く言いたいところは、ゆっくり喋ること」
「女を描く時は襟元をなおす仕草をするが、それは下々の女がやることで、武家の奥方は胸元を押さえる。で、反身になって顎を引くんだ」
それらのアドバイスの源流は、七代目橘家圓蔵師匠である。プロの教えはやはりすごい。そして、その教えを実際の高座で血肉にしてきた梅八さんもすごい。
圓蔵師匠は楽屋では「小言の圓蔵」として恐れられた。しかし、その小言は理に適ったものだったのだと思う。柳家小三治も『大工調べ』でのアドバイスは心に残ったと言っている。(「七代目橘家圓蔵 その2」参照)
私は圓蔵師匠に間に合った世代だが、師匠は私が大学2年の時に亡くなった。今になれば、もっともっと教えを受けたかったと悔やまれてならない。
梅八さんが現役の頃、圓蔵門下の売れっ子、林家三平と月の家圓鏡(後の八代目圓蔵)がうちの学祭に出演してくれた。その時、梅八さんは安く仕入れたコーラを客に売り、その売り上げを元手にして、圓蔵師匠とうちの落研でハワイに行って寄席をやったという。すげえなあ。その写真は私も現役の頃部室で見た覚えがある。ああ羨ましい。
梅八さんの向こうに圓蔵師匠がいて、さらにその向こうには、圓蔵師匠の師匠である、私の永遠のアイドル八代目桂文楽がいる、と思えば、とんでもなく幸福な時間を私は過ごしていると言えるのではないか。
それにしても、大学時代橘右近に寄席文字を習い、本牧亭でアルバイトをし、卒業後も現在に至るまで落語にどっぷりつかった梅八さんと、こうしていっしょに落語をやらせていただいていることに、深く感謝したい。こういう巡り合わせを大切にしたいと思う。

ここ数日で一気に桜が見頃を迎えた。


夕食は鳥の唐揚げ、マカロニサラダ、ポテトフライで赤ワインを飲む。

2020年3月22日日曜日

お彼岸は3連休

今年のお彼岸は3連休。
まずは1日目。
前の晩、地元の先輩との飲み会で、帰ったのが夜中の2時。それでも6時前には目が覚めてしまう。年を取ったせいか、長く眠れない。でも起きる気にはなれなくて、寝床を出たのが7時頃。朝飯はお茶漬けにする。
彼岸の中日。妻は仕事。息子たちと墓参りに行く。




暖かいが風が強い。
昼はサッポロ一番醤油味。
テレビでオリンピック聖火の石巻での点灯イベントをやっていた。強風にあおられて何べんも火が消える。生放送はぐだぐだだったねえ。
夕食はワンタンスープ、肉じゃがで酒。眠い。早めに寝る。

2日目。
朝、フレンチトースト、スープ、ウィンナーソーセージ。
この日も妻は仕事。
息子二人を連れて土浦へ行く。次男の自転車通学練習とそのついでに長男と散歩。




空地で猫が集会をしていた。


この日、茨城でも桜の開花が宣言された。





昼は土浦イオンのフードコート。私はうどんをすする。


立川談四楼著『落語のもの覚え』を買う。イッキ読み。
妻と夕方ビール。
夕食は豚肉炒め、冷奴、肉じゃがで酒。食後に白ワイン。
寝しなにボウモア。

3日目。
朝、御飯、味噌汁、マルシンハンバーグ、鮭フレーク。
妻の実家に行く。義父の墓前に二人の息子の合格を報告する。


昼は、ばんどう太郎で天丼と盛り蕎麦のセット。お腹一杯。
妻の実家で昼寝。腹ごなしに散歩に出る。
よく晴れて暖かい。まだ彼岸だというのに、早くもソメイヨシノが見ごろを迎えそうな勢い。



5時頃帰る。帰りに天満屋で神亀を買う。久し振り。


夕食は湯豆腐、鯖の水煮のオニオンスライス載せ、笹かまぼこ、鶏レバーの煮たので神亀を飲む。旨いねえ。
食後に赤ワイン。寝しなにボウモア。

2020年3月21日土曜日

那珂湊の街並み 2020

先月、那珂湊を歩いた時の写真を載せる。
県内随一の港町として栄えた。港町らしく、どこか荒っぽい感じがするところが、またいい。




天満宮近くの謎のスナック街。


那珂湊へ行くと寄らずにいられない、チェリー食堂。




素敵なフォント。


このフォントも素晴らしい。



那珂湊散策で必ず寄るのが、前出のチェリー食堂ときうち書店。
きうち書店は近代文学を中心に個性的な品ぞろえがうれしい。
今回買ったのは、伊東潤著『義烈千秋 天狗党西へ』(新潮文庫)。これ以外に天狗党関係で文庫で読めるのは、吉村昭の『天狗争乱』(新潮文庫)、山田風太郎の『魔群の通過—天狗党叙事詩』(ちくま文庫)かな。正統派なら吉村昭、エンタテインメントなら山田風太郎、伊東潤はその中間。私が映像化するとしたら、この『義烈千秋』を下敷きにする。バランスがとれていてキャラが立っている。若い俳優さんをよく知らないので、キャスティングは想像できないけど。
もう一つ、寄るとしたら市場だな。屋台で出ている蟹味噌(500円)とワンカップの燗酒(400円)が絶品。堤防を今回は立ち飲みのカウンター代わりに海を見ながら飲んだ。旨かったなあ。


それから、この建物が好き。


だけど、今年見たら「トタン」の「ト」の字がなくなってた。台風で飛んじゃったのかな。


この建物がいちばん好きだったんだけど、なくなっちゃったんだよね。残念です。


2020年3月20日金曜日

ひたちなか海浜鉄道湊線

ひたちなか海浜鉄道湊線。先月の3連休に乗ったけど、乗客がけっこういたな。
もとは私鉄だったが、経営が悪化して2008年に第三セクターに移行。今や様々な努力が実り、鉄道ファンの間でも評価が高い。こういうのは嬉しいね。

この時は、阿字ヶ浦と那珂湊を往復した。
まずは那珂湊駅。








平磯駅を通過。


阿字ヶ浦駅。




阿字ヶ浦から国営ひたち海浜公園まで路線を伸ばす計画もあるという。なかなか攻めているなあ。