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2020年3月15日日曜日

筑波山に雪

朝、パン、コーンスープ、スクランブルエッグ、ウィンナーソーセージ。
妻と子どもたちは買い物に出掛ける。出掛けてすぐ、息子から「筑波山に雪が積もっているよ」と電話が来る。
早速、霞ケ浦の堤防に行ってみる。うっすらと冠雪。昨日の雪は山の上では積もっていたんだな。



堤防には菜の花が咲き始めた。


帰って留守番。ビル・エバンス、ビーチボーイズを聴きながら、門茂男著『力道山の真実』を読む。
昼は御飯、塩ちゃんこ鍋、鯵フライ、ハムカツ。
いい天気。ミー太郎も気持ちよさそう。



夕方までに『力道山の真実』、読了。以前読んだ『力道山の時代』に比べ、より本人に迫るスタンスだな。力道山という人間の複雑さを示すエピソードが満載。特に木村政彦との対戦、あえない最期の場面の描写は圧巻だ。
力道山という人は尋常ではない。酒場での暴力沙汰なんか滅茶苦茶。素人相手に空手チョップを見舞うのだ。本当にとんでもないよなあ。結局、酒場で暴力団員と喧嘩を起こし、刺された傷がもとで死ぬ。
力道山は刺された直後、大量の出血をしながら、「この店はとんでもない」とハンドマイクで演説し、傷口から内臓が出てくるのを指で押し込みながら自宅へ帰ったという。
私は以前、力道山についての新聞記事を調べたことがある。まず暴力事件の数の多さには驚く。だいたいパターンは同じ。酒に酔って客や店員の態度が悪いと腹を立てて暴れる。これを懲りずに何度も繰り返すのだ。
そもそも最初の記事が、力士時代、保険金詐欺の疑いで事情聴取されたもの(1950年6月)。そしてその年の9月には突然相撲界から引退する。翌年の10月、プロレスに転向するも、12月には相撲界に復帰を希望し拒否される。1963年には経営するクラブ「リキ」が風営法違反で手入れ。本人には関係ないが、死後の1971年には未亡人が「アパートを偽契約で抵当に入れられた」として訴えられている。トラブルが実に多い。
力道山の人間性が奇矯と言ってよいものだったというのは分かるが、それがどのように形成されたのか、それに迫る資料にはなかなか出合うことができない。

かじきの焼いたの、はんぺんマヨ醤油焼き、ハムのレタス巻で燗酒。食後にボウモア。
団鬼六著『真剣師 小池重明』を読み始める。

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