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2020年4月1日水曜日

新年度

今日から新年度、新しいスタッフとの仕事が始まった。
こういう時期は気疲れがする。皆、気が立ってるしね。
家に帰って、夕食で晩酌。昨夜の「マツコの知らない世界」でやっていた餃子にそそられ、妻が冷凍餃子を焼く。それにジャーマンポテト、サラダ、切干大根で燗酒。
食後にぼんやりボウモアを飲みながらテレビを見ていたら、志村けんの追悼番組をやっていた。昔のコントを立て続けに流していたが、面白いなあ。妻とげらげら笑ってしまったよ。

小学生の頃、私は、コント55号とドリフターズが好きだった。「コント55号、世界は笑う」で私はお笑いファンになる。
ドリフとの出会いは「大正テレビ寄席」にコミックバンドで出ていたのを見た時だ。あれをビートルズの来日公演の前座でやったというから、これもすごい。
その後、「ドリフの全員集合」で大ブレイクした。世の小学生は文字通り腹を抱えて、腹の皮をよじらせて笑った。
「全員集合」が一回終わって、「クレイジーの出発進行」という番組が始まったことがある。クレイジーキャッツにドリフみたいなことをやらせてみたわけだが、これが見事にこけた。すかさず「全員集合」が再開。コメディアンとしてのクレイジーキャッツに引導を渡したのは、ドリフターズだったと言っていいだろう。
私が夢中になっていたのは荒井注がいた頃のドリフターズ、スターは加藤茶だった。「ちょっとだけよ、あんたも好きねえ」はぶっとんでたよ。
志村がドリフターズに加入したのは1974年である。その頃、私は落語に目覚めた。何たって古今亭志ん朝や八代目桂文楽を知ってしまったからなあ。あのべたなドタバタについていけなくなった。
だから私は志村のコントを熱心には見ていない。時期が合わなかったんだな。(ただ大学の頃の「からすの勝手でしょ」はすごいと思ったよ。)
でも、今回見たら、間といいテンポといい、いいんだよね。作り込んでいるんだが、遊びがあって、アドリブとネタとの出し入れが自由自在。ほんとくだらないんだけど、それに徹する潔さ。誰もが笑える。やっぱりすごい。
私は年を取ってからの飄々とした感じが好きだな。

新型コロナウィルスが志村けんをこの世から奪ってしまった。しかも親族ですら臨終に立ち会うことも遺体を見ることも許されなかったという。その衝撃に呆然とせざるを得ない。
志村けんさんのご冥福を祈る。追悼番組で出演者がコントを見ながら爆笑していた。志村さんを見送るのに、これほどふさわしい見送り方はないだろう。

ちょっと前の桜です。

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