春先、時間つぶしに週刊誌を読むことがあった。
基本的には「週刊文春」を読んでいたが、たまたま「週刊新潮」を読むことがあった。
この同じ曜日に発売される、同じような傾向の週刊誌だが、並べてみると違いがある。私の個人的な感想だけど、「文春」の方には権力批判の志があり、「新潮」の方には排外主義的読者へのおもねりがあるような気がする。「週刊新潮」には、かつて「新潮45」が犯した過ちを感じさせる雰囲気があるのだ。
百田尚樹、KAZUYA、櫻井よしこといった執筆陣は、書店で平積みにされている極右雑誌を彷彿とさせる。
まあ、この号での百田やKAZUYAなどの記事は穏当なものだったが、巻末近くにあった櫻井よしこは全力で振り切っていたな。少しだけ引用してみよう。
中国の企みを軽くとらえてはならない。彼らが如何に熱心に、かつ執拗に事実の書き換えを行うか。その結果、一かけらの真実も含んでいなかった虚偽が認定されてきた。この種の捏造に散々苦しめられてきたのが、私たち日本人である。「南京大虐殺」も「慰安婦性奴隷」も中国に捏造されてきた。捏造は世界に拡散され、それを信ずる一定の国際世論が形成されてしまった。当初日本人は余りに見え透いた嘘であるから、時間の経過とともに忘れ去られると考えていたが、事実は正反対となった。
従って、今回も武漢ウィルスの発生由来の書き換えを許してはならないのである。そのために私はCOVID-19などという紛らわしい呼称ではなく、このウィルスを武漢ウィルスと呼んでいる。
(櫻井よしこ「日本ルネッサンス—医薬品で世界を支配する中国」より)
歴史学的に事実として認定されている大戦中の皇軍の蛮行を虚偽とする歴史修正主義的主張と、疫病に特定の地域を冠さないという国際社会における慎みを吹っ飛ばしてしまう力技。これがメジャー出版社が主力とする週刊誌で声高に言い立てられることに呆れざるを得ない。
そりゃ中国は問題の多い国家だが、だからといって、かつて我が国が行なった行ないを全てチャラにはできまい。
この号の「週刊新潮」には最後っ屁のようにこんな記事もあった。
いま世界で一番恥知らずな嫌われ者は支那だ。それを「支那ウィルス」と呼んで何の不都合があるか。
(高山正之「変幻自在—支那ウィルス」より)
すげえなあ。日本人って礼儀正しい、気高い心を持った民族じゃなかったっけ。
ヤフーのタイムラインに載る「デイリー新潮」の記事もひどいのが多いし、どうしちゃったんだ、新潮社。
おれさ、文庫本でいちばん多く持ってるの、新潮文庫なんだよね。あまりがっかりさせないでほしいなあ。
でも、去年はこんなこともやってたんだよな。(炎上してすぐやめたけど)
もう同じ作品だったら、別の会社の文庫を買おうかなあという気になっておりますよ。