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2024年7月31日水曜日

7月の旨いもん

今日で7月も終わり。今月の旨いもん。

まずは小美玉市小川の小月庵。ここはカツ丼が絶品。でも、蕎麦も食べたいんだよねえ。

ということで、ミニカツ丼、もりそばのセット。900円。

このカツ丼が肉厚。それでいてやさしい味なのよ。何度も言うけど、ここが私にとってのナンバーワン・カツ丼なのだ。





お次はゆきむら。夏の限定、塩レモン冷やしラーメン。990円。

いかにも爽やか。味変でわさびがついてくる。美味しかったっす。




最後におぬま食堂。Bセット。焼肉、目玉焼き、ウィンナーのセット。ちなみにAセットは、とんかつ、以下同文。Cセットは鶏ステーキ、以下同文。


迫力のワンプレート。

小鉢陣も充実。

味噌汁の具はハマグリ? ホンビノス?

これで900円はお値打ちですなあ。


 

2024年7月28日日曜日

かっぱ祭り

朝、御飯、味噌汁、ハムステーキ、山海ぶし、鮭フレーク。

妻は実家に泊まり。

昼はスパゲティーミートソース。

市のコミュニティバスで駅まで出て、牛久に向かう。




妻の実家で夕方になるのを待って、かっぱ祭りを見に行く。



この祭りも、今年で40回目。目玉は牛久かっぱ囃子踊りのパレードだ。妻に言わせれば、牛久市民は誰でも踊れるとのこと。「やっぺやっぺ」の合いの手に合わせ、老若男女が踊りまくるのは、なかなかに壮観である。

市役所会場で夕食のおかずを買う。私は牛久シャトーで作られたクラフトビールを飲む。旨し。

妻の実家に戻り、焼きそば、唐揚げ、ソーセージ、ケバブなどでビール。またまた旨し。暑かったけど、今年もお祭り見物ができてよかった。

21時頃帰宅。風呂に入って焼酎のジャスミン茶割をちょっとだけ。

2024年7月27日土曜日

クルマドの風景、3ケ月振りのみほ落語会

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ、昨夜の残りの冷しゃぶ、納豆。

回覧板を回して、みほ落語会へ、クルマドの風景を撮りながら行く。





昼食はヨークベニマルの、海苔巻き、稲荷寿司の弁当。

13時開演。私は3ケ月ぶりの出演。『青菜』を演る。楽しい。

16時過ぎ解散。

夕食は父が買って来た刺身でビール、酒。妻は実家でお祭り見物。

風呂の入って、アイリッシュウィスキーを飲む。


梅雨が明けて猛暑日が続く。色々あるけど、オブラディオブラダ、人生は続く。


2024年7月21日日曜日

樋口一葉を読む

 梅雨が明けて暑い日が続く。この週末も猛暑日となった。

どこへ行こうとか、何をしようとかという気になれない。

で、この二日間、樋口一葉を読んでいた。

「にごりえ」「たけくらべ」「わかれ道」「うつせみ」「ゆく雲」「われから」。一葉の描く女は哀しい。女が「ひとりの人間」として認められなかった時代。そこで女は子を生す器械か性的快楽を提供するものでしかなかった。その中で一葉の女は「ひとりの人間」であろうとしてもがく。それはほとんど悲劇として終わるのだが、それでもこの社会の歪みをはっきりと可視化する。それは明治の昔の話ではなく、今日的な問題として迫ってくる。

貧困の中で、自らを性の市場に差し出す女。何不自由ないはずの富裕層の女でも、夫のモラハラに苦しんだり、人ととして大切にされない苦痛に身もだえる。

一葉のヒロインは多くは美貌の持ち主だ。しかし、その美貌ゆえに男の欲望の対象にされ、否応なしに市場に提供されてしまう。一葉自身、『閨秀小説』という女性作家特集号で肖像写真が掲載されて注目を集めた。私が読んでいる、ちくま文庫の『樋口一葉小説集』の解説で菅聡子は「世間の評判の背景には、自分の女性であるという性に対する好奇心があることに気づいていた」と書いている。

だからこそ「たけくらべ」の美登利の「いやいや、大人になるは厭なこと」という台詞は痛切に響く。美登利が花魁として店に出されるのは必定のことだったからだ(美登利がこのように言ったのは、初潮を迎えたことによるという説と「水揚げ」説とがある)。

歴史的仮名遣い、文語文、会話は口語だがカギカッコがない、など読みづらく敷居は高いかもしれない。しかし、文章のリズムといい、品がありながら洒落た文体といい、下手に現代語訳などせず、原文で読むべきものである。ただ、現代仮名遣いにして、カギカッコをつけ、改行を多くするのはありだと思う。そういう監修があってもいいんじゃないかな。

百合が満開


2024年7月19日金曜日

父と船村徹記念館へ行く

先日、父のリクエストで栃木県日光市今市の船村徹記念館に行った。

記念館は道の駅の中にある。朝8時に出て高速をぶっ飛ばし、10時30分頃に到着した。

船村徹、1932年(昭和7年)生まれ、2017年(平成29年)没。5000曲以上世に出した歌謡曲作曲家の第一人者だ。私はあまり得意なジャンルではないが、父にとってはかけがえのない人なのだろう。彼の代表曲、「別れの一本杉」や「王将」「風雪流れ旅」なんかは、私も口ずさむことができる。

美空ひばり、村田英雄、春日八郎、鳥羽一郎、北島三郎との交流を紹介した展示。舟木一夫のパネル。圧巻は歴代のレコードジャケットが並ぶコーナーだったな。撮影禁止とあって、父が残念そうだった。最近は撮影可のミュージアムも多い。ここもぜひ解禁してもらいたいなあ。

向かいの売店でお土産を買う。


金谷ホテルの食パンがあったので買った。厚切りトーストにして食べたら、旨かったよ。

この観覧車にも乗ってみたいねえ。

またまた父のリクエストで船村徹の生まれ故郷、塩谷町舟生に向かう。

生家近くにある酒蔵、松井酒造に入る。


ここで父は船村徹ブランド「男の友情」という本醸造酒を買う。ラベルは船村徹直筆。春日部から来たという年配の御夫婦も買っていた。

生家は、今は中に入れないというので、近くの道の駅にある歌碑を見に行く。



まあこれで父も満足だったようだ。

これからゆっくり下道で帰る。途中、宇都宮のバイパスにあった「味の民芸」で昼飯を食べる。

昔は牛久にもあって、よく利用したのだが、茨城県内は「ばんどう太郎」が席巻し、駆逐されてしまったようだ。

久々に長崎ちゃんぽんうどんを食べる。旨し。


15時30分過ぎに家に着く。宇都宮餃子に続く栃木日帰り旅。案外ささっと行けるもんだ。またどっか行こうよね。

2024年7月17日水曜日

難台山の寺社

先日、笠間に行った帰り、旧岩間町に寄って来た。

難台山に向かっていくと、由緒ありそうな神社を見つける。

社殿の裏に御神木の杉の大木が立つ。

境内の石碑には式内郷社、羽梨山神社とある。祭神は木花咲耶姫。

その昔、磐筒男・磐筒女の二柱の神が日本武尊の東征を助けたところから、尊より羽梨山の尊称を賜り岩間朝日丘に鎮座したという。坂上田村麻呂の奥州征伐途上にも武運を祈られ、後に大任遂行に報いるための神殿が寄進された。武家の崇敬が深かったのもうなずける。小田の支族、宍戸氏の信仰厚かったが、1542年(天文2年)兵火により焼失。現在地に遷宮された。元の社域はゴルフ場になってしまったらしい。


正面に愛宕山。

奉納額は「韓信の股くぐり」であろうか。

すぐ近くには難台山普賢院龍光寺がある。



創設は644年(皇極天皇の3年)。1231年(寛喜3年)、難台山中腹から現在地に堂宇を移し、羽梨山神社、熊野大権現社の別当となった。

背後の難台山には山城があった。南北朝時代末期に鎌倉府軍に攻められ落城。その時、山の反対側に落ち延びた婦女子たちが麓の松の大木の根元で休んだ。その時の夜明けがあまりに美しかったので、その松を「有明の松」と名付けたという故事がある。

鎌倉府軍は笠間市側から攻めてきたので、婦女子たちは石岡市側に逃げたのだろう。「有明の松」は、石岡市旧八郷町にある。

石岡市旧八郷町にある「有明の松」碑。松は枯死して切り株だけ残っている。


高校1年の、あれは夏休みの初日だった。岩間の級友(Yという)の所に友達3人で遊びに行った。岩間駅に降り立ったが、Yは一向に現れない。うかつなことに彼の家の電話番号もメモしていなかった。

「どうする?」と私たちは顔を見合わせた。

ふと見ると、正面に愛宕山が見えた。「あれに登ろう」と話がまとまる。

愛宕山にはものの1時間もかからずに登ってしまった。先に進むと尾根伝いに難台山に向かうハイキングコースがある。他の2人の友だちは、難台山の麓からやって来た。「では、歩いて帰ろう。お前も来いよ」と誘われるまま歩き出した。

無謀だったよ。昼飯も食わず3時間ぐらい歩いたかな。難台山頂まで行かないうちに麓へ下る。やっとFという友だちの家の裏手に出た時には疲労困憊だった。

今ほどの狂暴な暑さではなかったにせよ、よく無事で帰れたものだ。山をなめてはいけない。

ちなみにその時Yは、突然の腹痛に襲われ、トイレから出られなかったという。

岩間駅前通りから見える愛宕山。

2024年7月15日月曜日

蓮の花、一万灯祭

季節の花、蓮。うちの地元は蓮田が多いので、あちこちで見ることができる。

蓮の葉には露がたまっていた。


「蓮葉(はちすは)の濁りに染(し)まぬ心もてなにかは露を玉と欺く」(僧正遍照)という歌を思い出す。


この日は地区の薬師堂の一万灯祭。四年振りの開催となった。

おじさんたちが集まって酒を飲む。正しくは万灯会(まんどうえ)と言うらしい。どうしてここでそれが行われるようになったか、そのいわれは誰も知らない。でも、こんなふうに、近所の人たちが集まって、酒を飲む機会があるということは、それだけでいいもんだ。

2024年7月12日金曜日

魯山人を見に行った

この間、県立陶芸美術館へ行って、魯山人を見た。


魯山人の焼きものは、鑑賞用ではなくあくまで実際に使うものとして作られた。しかも、造形のほとんどは職人に任せ、魯山人は絵付けや仕上げを主にした。それでも、それらはまさに魯山人そのものとしての個性を放つ。

魯山人自身は狷介で厄介な人柄だったというが、作品は親しみやすい。いい意味の俗気があり、愛嬌がある。実際にこの器で飲み食いしたら、さぞ旨いだろうなあと思わせるものが多い。

ケースの中の焼きものを見てそう思うのだから、食い物と合わせたらたまんないだろうな。でも、本物だと腐っちゃうよなあ。ここは河童橋の食品サンプルとのコラボレーションなんてのはどうでしょうか?

撮影フリーだったのでばーしばし撮ってきた。眼福ですなあ。











7月7日、七夕の日に前山の百合が開花する。



2024年7月7日日曜日

緑屋食堂 もつ煮込み定食


緑屋食堂、もつ煮込み定食。800円。

煮込みはどちらかといえば甘めのお味。もつがみっちり入っている。


酒のつまみも充実しているので、煮込みも旨いと踏んだのだが、これが当たり。

最後は御飯にかけてわしわし食べる。旨し。

座敷で子どもがぐずっていたのだが、調理場からおばちゃんが出てきて相手をする。子どもも落ち着き、親のいら立ちも収まった。いい店だなあ。

いつかここで飲んでみたいもんだが、車じゃないと行けないからなあ。