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2010年12月16日木曜日

今日は寒かった


今日は休み。妻とつくばに行く。
楼外楼でランチ。妻は五目あんかけ焼きそばのセット、私は牡蠣と野菜のオイスターソース炒めラーメンのセット。サラダバーに杏仁豆腐、コーヒーが付く。お腹いっぱい。旨し。
お互いのクリスマスプレゼントを買う。
一日中雨模様。朝には雪がちらついた。
夕食はシチューの残りで作ったグラタン、サラダ、フランスパンで白ワイン。これもまた旨し。
写真は筑波山。山頂付近がうっすらと白いように見える。

2010年12月14日火曜日

渋谷から南青山、そして表参道


この前の週末は知人の結婚パーティーで東京に行っていた。
渋谷のハチ公前で待ち合わせ。待ち合わせの王道ですな。
ちょっと早めに着いたので、少し渋谷を散歩する。
渋谷は全く縁がない。学生の頃、NHKで大学落研小咄大会に出場した時に来て以来だ。あの時私は決勝に出るはずだったが、我が校は準決勝で敗れたため出番はなかった。後ろの雛壇に着物を着て座っていたのを、たまたま昼休み役場の人がテレビで見ていて、わざわざ実家の両親に電話をかけ、「息子が出てるぞ」と教えてくれたという。
さて、どこへ行こうか見当も付かない。まあとりあえず109だな。荒木経惟がよく撮っているもんな。今日のお供は、昨年職場の忘年会で当たったデジカメ。ちゃんと109を撮りました。
そこから何となく道玄坂を上る。路地に入ったりしているうちに、いつの間にか待ち合わせの時間が迫る。焦って戻るが、全然土地勘がない。やっとのことでハチ公前にたどり着く。
メンバーも揃ったので、タクシーで南青山へ。パーティー会場は地下にあるライブハウス。ジャズの生演奏もあったりして洒落た雰囲気。懐かしい顔が10人ほど。ひとつテーブルでワインを飲む。新郎新婦の人柄そのままのいいパーティーでした。
お開きの後は表参道に出て知人同士で飲み直す。韓国風さきイカで生ビール。どの辺が韓国風なのかよく分からない。
再会を約し、帰途に就く。家に着いたのは8時過ぎ。子どもたちが寝る前に帰ることが出来た。
上野で買った鯖寿司で酒。鯖は八戸産。これが肉厚で柔らかい。〆加減もちょうどいい。1杯だけのつもりが2杯も飲んじゃった。旨し。
もちろん、奥さんにもお土産にロールケーキ買ってきましたよ。
南青山から表参道か、お前には似合わない所だと言われそうだな。

2010年12月13日月曜日

大福さんのブログへ行ってみた

読者になってくれた大福さんがブログをやっているようなので行ってみた。
やっぱり落研の1年後輩、夢三亭大福さんであったか。
早速読者にさせていただきました。
ブログ、夢中で読んでしまったよ。おまけにキリ番100をゲットしてしまったぜ。
大福さんのブログを読んでいると、「あの頃」が蘇る。無頼派を気取った、自意識過剰だった私がいる「あの頃」だ。自分のことしか考えられなくて、色々な人に迷惑をかけていた「あの頃」だ。ちりちりと胸が痛い。鼻の奥がつんとする。まるでタイムスリップしたようで、今日は一日中、現実との距離感が上手く取れなかった。
「あの頃」よりは、ちょっとは丸くなったし、ちょっとは世間との折り合いを付けることができるようになったと思う。でも、それが何なのだろう。
どうしようもないわたしがあるいている、おそらく今でもそれは変わらない。
大福さん、これからもよろしく。いいブログです。更新、楽しみにしています。

2010年12月8日水曜日

あれから30年が経った


ジョン・レノンが死んで、今日で30年。
あの日、私は大学の落研の仕事があり、どこかで落語を演っていた。
帰りは、武蔵小杉まで東横線に乗り、そこで南武線に乗り換えた。
寒い夜だった。人気のない南武線のホームで、なかなかやって来ない電車を待った。
何だかとても疲れていたような気がする。
ぐったりして川崎のアパートに帰り、炬燵に入ってラジオをつけた。
すると、いきなりジョンの曲がかかった。
その年、ジョンは5年間の沈黙を破り、音楽活動を再開していたので、私はてっきりそのための選曲だと思っていた。
しかし、曲が終わるとDJはこう言ったのだ。
「今日亡くなったジョン・レノンさんの…」
とっさに私は聞き間違いだと思った。だが、事実を確かめるのが怖く、そのままラジオのスイッチを切って蒲団に入った。
次の日、落研の部室で後輩が読んでいた新聞を見せてもらった。社会面にジョンが死んだことが載っていた。
「本当だったんだ。」と私が呟くと、後輩は「信じてなかったんですね。」と言った。
その日はまっすぐアパートに帰った。コンビニでたったひとつ残っていたスポーツ新聞を買った。「ロックの帝王レノン死す」という青い見出しが踊っていた。
あれから30年が経った。私はジョンの歳をとっくに追い越した。思えば遠くへ来たもんだ、今では女房子ども持ち、か。
かつてジョンは「想像してごらん、国境などないって」と歌った。そして今、世界は市場経済のグローバル化によって画一化されようとしている。だけど、ジョンはこのような形で国境がなくなることを、果たして望んでいただろうか。

写真は現在の尻手駅。あの日、私はこの道を、思い詰めたような表情でアパートに向かっていたのだな。

2010年12月7日火曜日

立川談志(聞き手・吉川潮)『人生、成り行き―談志一代記』

落語界の風雲児、立川談志の一代記。文庫化されているのを見つけて早速読む。
生い立ちから、落語家入門、政治家時代、協会分裂騒動、立川流設立と波瀾万丈の人生だ。面白くないわけがない。
しかも、聞き手は立川流顧問、吉川潮。ビートたけし・高田文夫と匹敵する絶妙な組み合わせだ。
またこの、吉川潮の見事な幇間振り。談志、さぞや気持ちよかったろうなあ。
一読してまず思う。立川談志、まさしく天才だ。本質をずばりと掴む勘の良さ。明晰な論理。狂気の香り。この希有の才能の持ち主と同時代に生まれたことは、やはり幸運なのだと思う。
談志特有の自己愛も随所に見られる。前座の時には桂文楽より巧いと思っていた、三遊亭圓生が新協会設立に失敗したのは自分を後継者に選ばなかったからだ、柳家小さんは俺だけを可愛がればよかったのだ、等々。人を褒めるのでも素直にはいかない、必ず自分を一段上に置く一言を忘れない。
もはや誰もツッコめない。激烈を極める反論が返ってくるのは目に見えているし、それに対抗するのも面倒くさい。談志師匠、恐いしな。
ただ、その屈折もひっくるめて談志の魅力なのだ。圧倒的に感動的な彼の落語をまずは聴け。彼の道案内に従って落語の世界に足を踏み入れよ。正しい審美眼があれば、一度は談志に狂うはずだ。
談志はその鋭さをもって落語の世界に穴を穿ち、我々を刮目させた。そして、きりきりとその世界を広げた。現代落語にとって談志の果たした功績は計り知れないものがある。
ただ、談志の示した世界観が落語の全てではない。ともすれば、若い談志ファンには立川流が全てで、その他は生温い二流に映るかもしれない。しかし、落語の世界はもっともっと豊かだ。分析や分解だけが解釈ではないし、鋭く意識的なものだけが優れているわけではない。談志を先達に落語の森に分け入ったとしても、大いに道に迷い彷徨っていい。
確かなことは、談志を通ってきた客は、落語家に野次を飛ばすこともないし、大声で次の展開を話すこともしないだろう。噺の途中で携帯電話を鳴らすこともすまい。立川談志という存在を体験することによって、落語家に対する畏敬の念を、彼らは既に身に付けているだろうから。

2010年12月5日日曜日

霞ヶ浦ランチ


この週末は、次男が水疱瘡に罹っていたので、ずっと家にいる。
やっとよくなってきたので、今日は少し車でお出掛け。
マクドナルドでテキサスバーガーとチキンフィレオ、ホットコーヒー、ハッピーセットを買って霞ヶ浦の湖岸へ。霞ヶ浦を見ながらランチ。
いい天気。暖かい。
子どもたちを堤防で遊ばせる。
夕方はピザ作り。夕食は手作りピザで赤ワイン。もちもち、旨し。
村上春樹のインタビュー集を読む。

2010年12月1日水曜日

ライカ蘇生


修理に出していたライカが戻ってきた。
もはや部品がなく「修理不能」とのこと。
がっかりして帰ってきて、ちょっといじっていたら、これが何と蘇生したのだ。
嬉しかったねえ。
まあ、電源が入らなくなったのは事実だし。無理はさせないように、大事に使うことにします。

写真は愛機ライカC2。