落語界の風雲児、立川談志の一代記。文庫化されているのを見つけて早速読む。
生い立ちから、落語家入門、政治家時代、協会分裂騒動、立川流設立と波瀾万丈の人生だ。面白くないわけがない。
しかも、聞き手は立川流顧問、吉川潮。ビートたけし・高田文夫と匹敵する絶妙な組み合わせだ。
またこの、吉川潮の見事な幇間振り。談志、さぞや気持ちよかったろうなあ。
一読してまず思う。立川談志、まさしく天才だ。本質をずばりと掴む勘の良さ。明晰な論理。狂気の香り。この希有の才能の持ち主と同時代に生まれたことは、やはり幸運なのだと思う。
談志特有の自己愛も随所に見られる。前座の時には桂文楽より巧いと思っていた、三遊亭圓生が新協会設立に失敗したのは自分を後継者に選ばなかったからだ、柳家小さんは俺だけを可愛がればよかったのだ、等々。人を褒めるのでも素直にはいかない、必ず自分を一段上に置く一言を忘れない。
もはや誰もツッコめない。激烈を極める反論が返ってくるのは目に見えているし、それに対抗するのも面倒くさい。談志師匠、恐いしな。
ただ、その屈折もひっくるめて談志の魅力なのだ。圧倒的に感動的な彼の落語をまずは聴け。彼の道案内に従って落語の世界に足を踏み入れよ。正しい審美眼があれば、一度は談志に狂うはずだ。
談志はその鋭さをもって落語の世界に穴を穿ち、我々を刮目させた。そして、きりきりとその世界を広げた。現代落語にとって談志の果たした功績は計り知れないものがある。
ただ、談志の示した世界観が落語の全てではない。ともすれば、若い談志ファンには立川流が全てで、その他は生温い二流に映るかもしれない。しかし、落語の世界はもっともっと豊かだ。分析や分解だけが解釈ではないし、鋭く意識的なものだけが優れているわけではない。談志を先達に落語の森に分け入ったとしても、大いに道に迷い彷徨っていい。
確かなことは、談志を通ってきた客は、落語家に野次を飛ばすこともないし、大声で次の展開を話すこともしないだろう。噺の途中で携帯電話を鳴らすこともすまい。立川談志という存在を体験することによって、落語家に対する畏敬の念を、彼らは既に身に付けているだろうから。
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