前回の補足。
「鞍馬」の紫雀さんは二代目。1学年上の三代目の紫雀さんは先代正蔵ファン、当然「あやめ浴衣」を使っていた。
私は当時もいちばん好きだったのは文楽だった。でも「野崎」は使っていない。
なぜなら、私がいた落研では、文楽の「野崎」、志ん生の「一丁入り」、圓生の「正札付」、それと技術顧問である七代目圓蔵師匠の「お江戸日本橋」は使用禁止だったからだ。素人なりに遠慮してのことだろう。好きなの使えばいいじゃんという考えもあろうが、むしろうちの落研のそういう部分が、私は好きだった。
ただ、「追ん出し寄席」(現役引退興行)は、その限りではなかった。1学年上の圓生大好き美恋さんは「正札付」を使った。かくいう私もその時ばかりは「野崎」で上がらせて頂きました。(余談だが、大福さんが口上を務めてくれた。)
卒業して10年ぐらい経ってから、一度落語を演る機会があった。出囃子のテープが見つからず、文楽のスタジオ録音の「野崎」を使ったのだが、その時の演目「もう半分」には合ってなかったような気がするなあ。
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