鬼才、宇野浩二が、生前親交のあった芥川龍之介について、思いつくまま書き綴る。
これが面白い。
冒頭の珍道中に、まずやられた。芥川との関西方面への旅行の話なのだが、これが少々際どい。二人で京都は宮川町のお茶屋で遊ぶのだが、途中、芥川は四つ目屋(大人のおもちゃ屋ですな)に寄り、張型を買う。それを遊女相手に使用するのだが、漬けた湯が熱すぎてしくじった。その張型も家に持って帰れず、宇野にやったという。端正なイメージをもつ芥川だが、その手の遊びは好きだったらしい。
もちろん、こんな話ばかりではなく、宇野と芥川の隔てのない交流が多く綴られる。物堅く優しくいきとどいた、それでいて茶目っ気のある芥川の人柄がにじみ出る。
芥川は小説『鼻』が夏目漱石に激賞され、大正の文壇に鮮烈なデビューを果たした。そして、『今昔物語』などの古典に取材し近代的な解釈を施した、いわゆる「王朝もの」といわれる作品を次々に発表し、時代の寵児となった。
しかし、宇野は、この時期の若いのに凝りに凝った小説を量産する芥川を、痛々しい思いがする、ともらす。そして、その凝りに凝った小説も、理に詰みすぎていると批判する。
芥川が持っているのは、元ネタを独自の解釈で自分の作品に仕立て上げる才能で、ストーリーテラーの才はなかった。宇野はそれを冷徹に見抜いている。芥川の作品世界は「王朝もの」にとどまらず、「切支丹もの」「江戸もの」「童話」と幅を広げるが、やがてネタが尽きると、たちまち創作に行き詰まる。それに加えて自身の健康の悪化、家庭問題などが重なり、芥川は精神を病んでいった。
ネタがなくなった芥川は自分をネタにし始める。それが晩年の私小説風の作品群である。芥川の病んだ精神は、彼を混濁させるのではなく、底光りする冴えをその文章に与えた。宇野もそれを「真に迫る」と認めている。ただ、健康の悪化から息が続かず、本格小説にはなり得ず小品に終わっているとも指摘している。
芥川が自殺した時、宇野自身も精神を病み入院中だった。親友の死を宇野は予想せず、深い衝撃を受けた。
死の前年、宇野が芥川を訪ねた時、二人はお互い「小説書けよ」と励まし合ったという。同じ時代を生き、同じように精神の病と闘った者同士に通じる思いがあふれ出る。宇野の芥川作品を見る目は、多分に批判的だ。だが、芥川龍之介の才能を愛し人柄を愛し、その死を痛切に惜しんだのは、他ならぬ宇野浩二その人である。
宇野浩二の長い作家生活の最後の仕事が、これであった。
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