『蒲団』、田山花袋。日本の自然主義のパイオニアである。
作者の分身である中年の小説家の、若い女弟子への痴情が綿々と綴られる。
色々批判もあるだろうが、いちばん最初にやったってのが偉い。衝撃的だったろうな。そして、ああこの手があったか、と誰もが思ったに違いない。自分の心の恥部・暗部を赤裸々に綴れば衝撃の告白文学になるのだ。以後、日本の自然主義は、恥ずべき過去の告白合戦の様相を呈することになる。
まあいい。『蒲団』の話だ。
この男の呟きは、どれをとっても勝手なものだが、これが実にリアルなんだな。
惚れて一緒になった妻が、3人の子どもを産み、ただの母親に成り果てたことに対する不満。丸髷を結った古女房に飽き飽きし、今様の若い女に憧れる様。今時の女学生である弟子、芳子への想い。やがて、同志社の学生と恋に落ちた彼女への煩悶、懊悩。
芳子が恋人と体の関係を持っていたことを知ったときの凄まじさっていったらない。こんなことなら、彼女を神聖なものと祭り上げることなどせず、とっととやっときゃよかっただの、今からでも自分の恋情を切々と訴えれば、一回くらいやらせてくれるんじゃないかだの、本当に身も蓋もないのだ。(もちろん、もうちょっと古風に上品に書いてますよ。)
ただ、彼はこのような思いを決して表に出すことはない。表面は取り澄まし、いかにも誠実に振る舞う。(時にこらえきれなくなって昼間から酒を飲み、泥酔したりもするが…。)
でも、人は皆こんなものかもしれない。一皮むけば、醜くいじましい。けど、何とか頑張って、それを表に出さないようにする。そして、その醜くいじましい自分の心から目をそらさず、克明に綴る。そこが人の胸を打つのだ。
芳子は父に伴われ故郷に帰った。彼女の荷物が残る部屋に男は入る。押入を開け、彼女の蒲団に夜具に顔を押しつけ、女の匂いを嗅ぐ。蒲団を敷き、夜具を引っ被り、思う存分女の匂いを嗅ぎながら、男は一人泣く。あまりにも有名なラストシーンだ。
すべてはここから始まった。ここから藤村の『新生』が生まれ、太宰の諸作品が生まれた。もしかしたら、つげ義春や吾妻ひでおも生んだのかもしれない。
とはいっても、モデルとなった女性や奥さんはたまらなかったろう。芸術とやらのために、妻を売り、愛する人を売る。それを読者は娯楽として享受する。文士というのは、つくづくやくざな商売だな、と思わざるを得ないなあ。
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