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2010年11月17日水曜日

桂文楽の穴

文楽の芸を「完璧主義」と評する人は多い。
曰く、「一点一画をゆるがせにしない」、「磨き上げられた緻密な芸」等々、いずれもきちんとした破綻のない楷書の芸という評価である。
確かに文楽の噺は、台詞も時間もきちっと決まっていた。ただ、神格化されるほど全てにおいて完璧だったわけではない。
例えば『富久』。この噺で文楽はカンニングペーパーを持って高座に上がっている。久蔵が旦那の家に駆けつけ、火事見舞いの客の応対をしている場面、文楽は見舞い客の屋号や名前を手ぬぐいの上に置いたカンペを見ながら言っているのである。もしかしたら、彼が『富久』をなかなか高座にかけなかったのは、それが覚えられなかったからではないか、と勘ぐりたくなる。
また、色々な噺の映像を観ていて気づいたのだが、噺の途中で上下(かみしも)が入れ替わってしまうことがよくあるのだ。(多分、三遊亭圓生はこのようなことはしない。圓生のプライドはこんな初歩的なミスを許すまい。)
文楽の上下に関しては、松本尚久著『芸と噺と―落語を考えるヒント』(扶桑社刊)の中に出てくる。少し引用してみよう。
「小満んさんによれば、文楽は噺のトーンの維持に最も神経を使っていて、会話、地の文一体になったテンションを保つために、息継ぎの箇所がほかの人よりも少なく、また、普通は切らない所で息を継ぐように配分していた。さらに会話のつながり方を最優先にしているので、ときに人物の上下が逆になっても、そのまま停滞せずにとにかく噺を進めたという。」
文楽は上下より噺のテンションを優先した。つまり、最終的には型よりも内容を優先していたのだ。
文楽は「完璧主義」と賞賛されたが、一方で「いつ聴いても同じ」とか「作品至上主義で人間の業を描いていない」などと批判された。
しかし、文楽は、決して頑なな形式主義者ではなかった。噺が生きたものとなるために、形式を犠牲にするのも厭わなかったことが、それを証明している。

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