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2012年5月25日金曜日

小泊村1985

1985年夏の青森旅行。私にはどうしても行きたい所があった。
青森県北津軽郡小泊村。 太宰治の名作『津軽』のハイライトシーン、「私」が幼年時代の子守だったタケと再会するのが小泊村の小学校だった。肉親の前では萎縮していた「私」が、タケの前で心安らかに肯定感に包まれる場面を読むと、私はいつも瞼が熱くなる。現在はその小学校の校庭には、太宰とタケのブロンズ像が建てられている。
私にとっては、フォークシンガー三上寛の故郷というのが大きいな。
三上寛の世界は凄まじい。あんなの歌じゃないという人と、あれこそが歌であるという人にくっきりと分かれる。歌じゃないという人が、恐らく9割、あれこそが歌だという人が1割だろうが、歌だという人の歌に対する思い入れは、多分歌じゃないという人の10倍濃いだろう。放送禁止用語だくさんの、おどろおどろしい言葉の向こうに、骨太の抒情がある。
三上寛の詩には、故郷小泊村がよく出てくる。私が大学時代熟読した三上の詩集『お父さんが見た海』の表題作は、まさに小泊の海をうたったものだった。彼の代表作『夢は夜ひらく』にはこんな歌詞がある。
「生まれ故郷の小泊じゃ/今日も時化だと言っている/現金書留来たと言い/走る妹よ//どうしても行くというのなら/この包丁で母さんを/刺してから行け/行くのなら/そんな日もあった」
私は三上のこういう言葉にやられたのだった。
運転するOさんに頼んで、国道を外れ、名も知らぬ海沿いの集落に入ってもらった。
小泊の、海とともに生きる人々の暮らす場所の空気に、ほんの少しだが触れることができた。
目の前の海はきれいだった。青いというより、透明な海だった。あれが、『海男』の、「海男になった木下明夫」が眠る海だ。三上寛のお父さんが見た海だ。「まんじりともしない」朝に、「オイデオイデする」海だ。
太宰がタケと再会した小学校には行けなかったけど、あの海を見ただけで、私は満足だった。
またいつか、小泊の海が見たいと思う。
写真は当時の小泊村。海の写真がないなあ。

4 件のコメント:

gudmundsson さんのコメント...

初めましておじゃまします!!

子供の頃、母の実家である小泊に毎年、夏休みには必ず遊びに行っていました。

何となく思い出して、検索してみたら、85年の貴重な写真が…!!僕の思い出の中の映像そのままで、一瞬で当時の記憶と匂いまでもが蘇りました♪

今では砂浜も整備(?)されてしまって、泳ぐことができませんが、当時はすぐ裏の浜で遊んだのをよく覚えています。

ともあれ、素敵な写真を見れて、感無量です!!

densuke さんのコメント...

コメントありがとうございます。
私はあれ以来小泊には行っていません。
そうですか、今はきれいに整備されてしまいましたか。
でも、もう一度行ってみたいですね。
昔の写真、喜んでいただけて、私もうれしいです。
また気が向いたらのぞいて見てくださいね。

Unknown さんのコメント...

小学生時代、小泊に住んでいたものです。過去の小泊村画像を探してこちらに来ました。85年だと私がまだ住んでいた頃でしょうか写真は二枚とも下前の行き止まりのものですね。

私が住んでいた当時、越野金物店の息子さん タケさんのお孫さんと何度か遊んだ記憶があります。
私にとってはただの越野くんのおばあちゃんでしたが、タケさんが亡くなった次の日、大人達がタケさんが亡くなった事を話していたのを横で聞いていました。夜9時頃 寝る前に水をちょうだいと言い、それと飲み終えたあと、特に苦しむでもなくスーっと息を引き取ったそうです。
相当昔のことなのによく覚えてるなあと自分でも驚きです。
現在は小学校の山側にあった空き地に小さな太宰の資料館があります 

densuke さんのコメント...

コメント、ありがとうございます。

あの「タケ」を直接知る方のお話をうかがうことができて、本当に感動しています。ネットの力はすごいですね。
この集落は下前というんですか。行き当たりばったりに車を走らせ、これ以上先に進めそうになかった所で車を降りて写真を撮った覚えがあります。もっと写真を撮っておくんだったと、少し後悔しています。
小泊村は1度しか行ったことがありませんし、おそらく30分もいなかったと思うのですが、それでもまだ鮮明に覚えています。それだけ私にとって特別な所だったんだと思います。

タケさんの最期の話、心に沁みました。貴重なお話をありがとうございました。