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2014年2月18日火曜日
2003年 「奥多摩貧困行」を旅する③
土方の墓所を出ると、もう昼時だった。
旅の昼飯はラーメンと決めている。下手な名物料理だったら、地元の人の日常食の方がよっぽど旨い。
街道沿いの「まるしん」という店に入る。入った途端、激しい雨が降り出した。台風の影響か、テレビの高校野球の試合も中断されていた。
ここでは、ラーメンと半炒飯を食べる。真っ当な醤油ラーメン。おそらく何年も同じ味を続けてきたのだろう。ほどほどに旨い。それがかえって好感を抱かせる。
ラーメン屋を出て、五日市から檜原村へと向かう。断続的に激しい雨に見舞われる。切り立った山と深い渓谷の中を曲がりくねった道が続き、その両側に民家がへばりつくように建っている。まさに秘境の名にふさわしい。
つげ義春は、ゴールデンウイークのある日、妻と長男を連れて奥多摩を旅した。檜原村で一泊、青梅で一泊と、奥多摩に二泊も要した。(彼らは東京の西側、調布に住んでいたのだ。)もっとも車を持たないつげにとっては、まとまった距離の移動もままならず、それも仕方のないことだったのかもしれない。 檜原村の宿は、眺望もきかず、目の前には宿の家族の下着なんかが干してあったりして、生活感丸出しで、何ともわびしい気持ちになったと、つげは「奥多摩貧困行」の中で書いている。
兜造りという独特の建築様式の民家が並ぶ、数馬の集落に入る。つげは秘境数馬も道がよくなって観光客が行きやすくなったためか、俗化してしまったと言っている。
行ってみると、悪天候のせいか、ひっそりとしていてなかなか悪くない。先ほどまでの雨は上がり、路面からは水蒸気が立ち上る。
兜造りは合掌造りの一種で、茅葺の三階建ての随分しっかりした造りの家だ。数馬にはそのような家が十軒近く残っているのだが、そのほとんどが民宿をやっている。つまりは、そのように観光資源として活用しなければ、あれほどの建造物を維持するのは難しいのだろう。俗化といえば俗化だが、それぐらいはしょうがないよな。
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