独身時代、夏休みには決まってT君と旅行をしていた。
私たちは同じ大学で国文学を学んだ。文学部出身の人に見られるように、まあまあどこか屈折している。そのせいか、適度に文学の香りがする所、あんまり人が行きそうにない所に好んで行った。
お互い結婚して家庭を持つとそうおちおち自分だけで旅行に出かけられようもなく、しばらく中断していたのだが、2003年の夏休み、T君の方から「あの旅をやらないか」とメールが来た。
その年、T君には、春に長男が誕生したばかりである。育児にもいちばん手のかかる時だ。奥さんは承知か、大丈夫かT。と、何度か念を押したが、大丈夫だと言う。
私としても幼い長男をかかえた妻を置いて何日も家を空けるのは、正直怖い。
では、T君に茨城に来てもらい、翌日から1泊で近場に出かけるのはどうか、と打診してみた所、岐阜県一の茨城通を自認している彼は、むろんそれに異存はない、場所の選定はそちらに任す、と言って来た。とりあえず希望を訊くと、新撰組ゆかりの地が見たいとのこと。そこで、東京は日野辺りを皮切りに奥多摩へ向かうプランを立てる。
奥多摩は、つげ義春のエッセイで読んで気になっていたのだが、行ったことはなかった。
つげ義春という人、人間のいじましさ、弱さを描かせたら右に出る人はいない。奥多摩については『貧困旅行記』というエッセイ集に収録された「奥多摩貧困行」に詳しい。これもみじめったらしく、いじましいつげワールド満載の作品なのだが、これがまたしみじみといいのだ。
T君にも快諾を得、今回の旅は「『奥多摩貧困行』を旅する」というのに決めた。もとより、あまり景気のいいテーマではない。
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