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2014年2月1日土曜日

つげ義春『貧困旅行記』


芸術新潮を読んでから、ここの所、つげ義春づいている。
『貧困旅行記』をぽつぽつ拾い読みしているのだが、これがいい。
中でも「蒸発旅日記」が出色だな。何年か前に映画化された。映画は観ていないけど、映画化したいほど魅力があったということだ。
一面識もないファンの女性と結婚しようとして、九州は小倉に行ってしまう「私」。彼女に会うことはできたのだが、詳しい話は次の休みまで待ってほしいということで、一週間暇ができた。
そこで「私」は、湯平、湯布院、杖立と温泉を巡る小旅行に出かける。この小旅行が、またすごい。
湯平で行ったストリップ。客はひとり。舞台に小銭を置いて、踊り子に手招きして股を開くように促すが、無視される。そのうち部屋に蛾が入ってくる。「私」が、その蛾を側にあった灰皿に閉じ込めてやると、踊り子が目の前で股を開いてくれる。ステージが終わり、マネージャーと踊り子と3人でバナナを食べ世間話をしながら、「私」は、「ストリップにくっついてそのまま旅をするのもいいなあ」なんて思ったりする。
杖立でもストリップに行く。ここの踊り子にステージから扇情的な目で見つめられ、次のステージは5人分の料金を払い貸切にする。踊り子を目の前に座らせ、太腿に顔をうずめて「こうしているだけでいいんだ。こうしているだけで何となく安心できるんだ」などと甘いことを言う。その晩はこの踊り子と寝ることになるのだが、意外にも純情な娘で愛おしくなったりする。
後ろ髪を引かれるように小倉に戻り、ファンの彼女とも寝るのだが、彼女からはひとまず東京に帰ってゆっくり考えてから出直すように言われる。東京に帰ってみると、もうそんな気も失せてしまい、そのままにしてしまったという話。
いちいちいじましく、身も蓋もない。けど、どこか突き抜けている。もはやエッセイというより私小説ですな。極北の感すらある。
それに、この人の場合、巧まざるユーモアがあるんだよな。結婚しようとするファンの彼女を想像する場面で、「ひどいブスだったら困るけど、少しくらいなら我慢しよう」とか「離婚した女なら気も楽だ」とか、身も蓋もなさ過ぎてかえって笑ってしまう。つげの世界は暗くて悲惨で苦悩に満ちているような印象があるが、ベースにあるのは実は笑いなのではないか。(もちろんそれはからっとしたものではないが)
そんな視点で見てみると『ねじ式』とか『ゲンセンカン主人』なんていうのは不条理マンガというより、つげ義春なりのギャグマンガなのではないかと思ったりしてしまうのだ。

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