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2017年7月16日日曜日

東山紀之『カワサキ・キッド』

著者はご存じ少年隊のヒガシ。
40代になった彼が自分のルーツ、川崎を語る。

川崎市桜本のコリアンタウンの一角にあるアパートで幼少時代を過ごした。
祖父はロシア人の血を引いていて、実父は酒を飲んでは暴力をふるった。近所には焼肉屋を営む朝鮮人母子が暮らしていて、東山兄妹はよくその家に上り込んでは豚足を食べさせてもらっていた。
「当時シュウちゃん一家は日本名を名乗っていた。差別のため本名は名乗れない時代だった。」と東山は綴る。
やがて両親は離婚し、東山一家は南武線沿いの市営住宅に移り住む。遊び場が鶴見操車場とあるところから、多分最寄駅は矢向だろう。
市営住宅から南武線の線路を挟んで、母方の祖父が住むアパートがあった。東山少年は、脳溢血の後遺症で体の不自由な祖父の手を引き、銭湯へ連れて行ったり、夕食を食べさせるため自宅へ送り迎えしたりした。南武線の踏切を渡る時には、電車が来たらどうしようと毎回ヒヤヒヤしていたという。
1979年、小学6年生の時、渋谷に公開放送を見に行った帰り、ジャニー喜多川にスカウトされる。母の再婚、養父の暴力などもあって中学卒業とともにジャニーズの合宿所に入り、1985年に少年隊としてデビュー。後の活躍は周知のとおりである。

マイノリティーに対するまなざしの優しさ、芸に対する真摯な姿勢、言っちゃ何だが、近隣諸国に向かって悪口雑言をまき散らすベストセラー作家なんかより、東山の方がずっとずっと上質の言葉でものを語っていると思う。

私は1979年から1983年の初めまで、川崎に住んでいた。東山の住む市営住宅からは一駅しか離れていない。大学には南武線で通っていたから、もしかしたら、電車の中から、おじいさんの手を引く東山少年の姿を目にしたことがあったのかもしれない。
私にとって川崎と言えば、フォーク歌手の友川かずきだが、彼もまた秋田から出てきた人だ。そこへいくと東山紀之こそが川崎ネイティブ、文字通り「カワサキ・キッド」なのだな。
ラストの川崎再訪の文章が特にいい。





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