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2018年1月30日火曜日

境町「船町」 けんちんせいろ


境町、「船町」のけんちんせいろ、800円。
一口食べた後、撮った写真なので、量は右上の部分を補って推測してください。
「けんちんそば」は、茨城ではよく見るメニューだ。手打とあったので、「せいろ」にした。
では、アップで。



蕎麦は腰があって旨い。つゆは、さといも、にんじん、だいこん等、具だくさん。味付けは、ちょっと辛め。これは「せいろ」のつけ汁だからだろうな。蕎麦をたぐった後、蕎麦湯で割ると、飲むのにはちょうどいい。身体の中から温まる。
丼物やカレーライスもある、町の正しい蕎麦屋さん。なじみであろうお客で、ほぼ満席だった。客あしらいも丁寧だし、店の感じも落ち着いていい。こんな店が近所にあるといいな、と思いましたよ。

利根川の堤防のすぐ側にある。

2018年1月28日日曜日

県西の火の見櫓(火の見櫓14)

境町へは県道つくば古河線を通って行ったが、この沿線に火の見櫓がけっこうあった。
思わず帰りも同じルートにして、ばーしばし撮って来た。
では県西の火の見櫓をまとめて御覧ください。

まずは坂東市逆井(旧猿島町)のもの。すらっとした形。



お次は八千代町蕗田の辺り。最上部に物見のスペースがない。この形は珍しい。



半鐘がきちんと付いている。

寄贈者のプレートがあった。
60年ものなんだね。

つくば市吉沼にある、吉沼八幡神社境内にあったもの。ミニサイズだね。


半鐘付き。

こんな風に街道を見下ろしている。

つくば市大砂。すらりとして美しい。



細工も細かいねえ。

つくば市今鹿島。企業の敷地内にあったもの。全体がライトグリーンにペイントされている。



半鐘も付いている。

火の見櫓も最近、屋根がなくなっているのが多い。この日見たのは全て屋根付き。しかも5基中3基に半鐘が付いていた。えらい。

2018年1月27日土曜日

境町再訪


仕事で境町に行って来た。境に行くのは2度目。前回は2013年の11月だった。
茨城県猿島郡境町。かつては水運で栄えた町。利根川の対岸にある関宿とは一体と見なされ、関宿藩の城下町であった。現在は茨城県と千葉県に分かれているが、その昔は同じ下総国だったのだ。
午前中に仕事を終えて、午後からは休みを取った。
利根川の土手のすぐ下にある、船町という蕎麦屋に入る。けんちんせいろを食べる。


食後、まず利根川の堤防へ上がる。
月曜日に降った雪が、まだずいぶん残っている。ずっと寒い日が続いていたからなあ。

一面の雪景色。

対岸の関宿城博物館の天守閣。
実は写真中央にかすかに富士山が見えるのである。

境町からの筑波山。

堤防から下りて、街中をぶらつく。この辺は古い家並が残っていて面白い。



前回来た時、一目惚れした高木書店。
閉店したようだ。

高木書店正面。


奥まった所に焼き鳥屋があった。


煉瓦造り。


次来たら、ここで食べるのもいいな。


やっぱり古い街を歩くのはいいね。また機会があれば訪れたいものです。

  *  *  *

自民党の元衆議院議員で、自民党幹事長や内閣官房長官等を歴任した、野中広務氏が亡くなった。
野中氏と辛淑玉氏の共著、『差別と日本人』は、私の座右の書である。
1998年だったか、妻と沖縄旅行に行った時、偶然、那覇のホテルで野中氏の姿を見た。権力の中枢にいる者として、きちんと沖縄に向かい合った人だと思う。沖縄に対し、小学生のいじめのようなことをしている現政権及びその支持者とは、まさに対照的だ。
確かにきれいごとだけでは権力は維持できない。野中氏自身、相当際どいこともしてきたろうし、清濁併せ飲む人でもあっただろう。でも、弱い者に思いを致す心根が、彼の根本にはあった。『差別と日本人』で語られた言葉の中に、それは十分表れている。
92歳、長い間我が国を支えてきてくれたことに敬意を表したい。そして、氏はずっと平和の大切さを主張してきた。その遺志を私たちも受け継ぎたいと思う。
野中広務氏のご冥福を祈る。

2018年1月23日火曜日

古今亭志ん駒、柳家小蝠を悼む


大雪。いつもは30分のところ、今日は1時間かけて仕事に行く。

  *  *  *

先日、落語協会元理事の古今亭志ん駒師が亡くなった。81歳。
五代目古今亭志ん生最後の弟子。志ん生死後は十代目金原亭馬生門に移った。志ん朝の信頼厚く、昭和53年の落語協会分裂騒動では、馬生門でありながら志ん朝と行動を共にした。それ以降、古今亭志ん朝一門の叔父貴として後進の面倒を見た。
1974年NHK新人演芸コンクール落語部門最優秀賞受賞。この時のネタは『幇間腹』。私はこの時の高座をテレビで見た。明るくて軽くて、幇間一八はまさにはまり役だった。人呼んで「ヨイショの志ん駒」。人の気をそらさないヨイショは、まさしく名人芸だったという。
前歴は海上自衛隊。高座で見せる手旗信号は楽しかった。また、個人的に親交のある杉良太郎の裏話や志ん生の思い出話も面白かった。
長い間、楽しませていただいた。ご冥福をお祈りします。

志ん駒師の手拭い。


芸術協会では小文治さんの弟弟子、柳家小蝠さんが亡くなった。
最初立川談志に入門し立川志っ平。その後十代目桂文治門下に転じて桂前助。文治死後は、兄弟子の柳家蝠丸が引き取った。二つ目昇進時に師匠蝠丸の前名、小蝠を継ぐ。
苦労した人なんだな。小文治さんのHPでは、2014年の真打昇進で初のトリをとった時、高座で感激のあまり涙がこみ上げ、5分間絶句したと書いてある。
今年1月9日、インフルエンザが悪化して救急搬送され、12日、肺炎を起こして亡くなったとのこと。42歳という早過ぎる死だった。さぞ無念だったと思う。ご冥福を祈る。

2018年1月21日日曜日

行方市天王崎


妻のしもやけがひどくなってきたので、親子4人、行方市の麻生温泉白帆の湯へ行く。
すぐ目の前が霞ケ浦という絶好のロケーション。条件がよければ、筑波山はもちろん、富士山を望むこともできる。料金は一般で700円。そんなに混み合うこともない。日帰り温泉の穴場スポットだ。うちはずっとここを愛用している。
今日は、天気はいいものの、残念ながら眺望は利かず、富士はおろか筑波山も見えない。のんびりと霞ケ浦を眺めながらお湯につかる。
休憩所で湯上りの牛乳。頃合いを見て昼食にする。カレーそば600円に、半ライス100円を付ける。


ラー油が浮いている。辛みはこれなんだな。
食休みの後、2度目の入浴。湯上りにはチョコもなかアイスを食べる。

妻と次男は売店を見に行き、私と長男はすぐ近くの神社をぶらぶらする。




八坂神社。1604年、新庄氏によって麻生藩三万石が創始されたのに伴い、鎮守の神としてここに祀られた。7月最終土日の祭りでは、八岐大蛇に見立てた飾り馬と、祭神素戔嗚尊を奉じた神輿がもみあう神事が行われるという。
この辺りは天王崎といって、その昔は湖水浴場として多くの観光客を集めた。白帆の湯はもとの国民宿舎白帆荘である。
八坂神社の境内には「茨城百景水郷麻生」の碑が立っている。


さらに厳選された「茨城四十五景」の当選記念塔もある。


レリーフがまたいいのよ。


八坂神社の隣には、水神宮が祀られている。


船の碇が奉納されていた。

では、天王崎から見た霞ケ浦です。




2時過ぎ帰る。夕方ビール。夕食は父が買って来た、鯉の洗い、刺身で燗酒。いい休みでした。