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2018年1月23日火曜日

古今亭志ん駒、柳家小蝠を悼む


大雪。いつもは30分のところ、今日は1時間かけて仕事に行く。

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先日、落語協会元理事の古今亭志ん駒師が亡くなった。81歳。
五代目古今亭志ん生最後の弟子。志ん生死後は十代目金原亭馬生門に移った。志ん朝の信頼厚く、昭和53年の落語協会分裂騒動では、馬生門でありながら志ん朝と行動を共にした。それ以降、古今亭志ん朝一門の叔父貴として後進の面倒を見た。
1974年NHK新人演芸コンクール落語部門最優秀賞受賞。この時のネタは『幇間腹』。私はこの時の高座をテレビで見た。明るくて軽くて、幇間一八はまさにはまり役だった。人呼んで「ヨイショの志ん駒」。人の気をそらさないヨイショは、まさしく名人芸だったという。
前歴は海上自衛隊。高座で見せる手旗信号は楽しかった。また、個人的に親交のある杉良太郎の裏話や志ん生の思い出話も面白かった。
長い間、楽しませていただいた。ご冥福をお祈りします。

志ん駒師の手拭い。


芸術協会では小文治さんの弟弟子、柳家小蝠さんが亡くなった。
最初立川談志に入門し立川志っ平。その後十代目桂文治門下に転じて桂前助。文治死後は、兄弟子の柳家蝠丸が引き取った。二つ目昇進時に師匠蝠丸の前名、小蝠を継ぐ。
苦労した人なんだな。小文治さんのHPでは、2014年の真打昇進で初のトリをとった時、高座で感激のあまり涙がこみ上げ、5分間絶句したと書いてある。
今年1月9日、インフルエンザが悪化して救急搬送され、12日、肺炎を起こして亡くなったとのこと。42歳という早過ぎる死だった。さぞ無念だったと思う。ご冥福を祈る。

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