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2018年1月18日木曜日

漱石『三四郎』と落語

夏目漱石と落語というと、必ず引用されるのが、『三四郎』に出てくる「小さん名人論」だろう。
これは登場人物、佐々木与次郎によって語られる。
与次郎は「小さんは天才である」とした上で、小さんと円遊を比較して、このように言っている。
「円遊も旨い。然し小さんとは趣が違っている。円遊の扮している太鼓持は、太鼓持になった円遊だから面白い。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。」
ここでの小さんは三代目柳家小さん。明治28年3月に師匠の二代目小さんが柳家禽語楼に改名したのに伴って、三代目を襲名した。円遊は「ステテコ」で知られた初代三遊亭圓遊のことだ。明治40年11月26日没。『三四郎』が朝日新聞に連載されたのが、明治41年だから、すでに円遊は死んでいる。
与次郎の説では、演者の個性が際立つのが円遊、演者が消え登場人物が浮かび出るのが小さん。昭和の名人でいえば、前者は五代目古今亭志ん生、後者が八代目桂文楽ということになろうか。
第1次落語研究会が始まったのは明治38年3月。三代目小さんはこの研究会の発起人として柳派からただひとり名を連ねた。この研究会で、四代目橘家圓喬、初代三遊亭圓右、三代目柳家小さんは名人の名を確立させていく。
昭和の名人、文楽・志ん生・圓生が口をそろえて「本当の名人」と言う圓喬に対して、漱石は言及していない。圓喬のような大向こうをうならせるタイプは、漱石の好みではなかったのかもしれない。

この『三四郎』では、もうひとつ落語の影響を感じさせる箇所がある。
冒頭、主人公の小川三四郎が熊本から汽車に乗って東京に出てくる場面。車中で三四郎は一人の女と知り合う。その汽車の終点、名古屋で女は三四郎に「一人では気味が悪いので、宿屋に案内してほしい」と頼む。横町の目立たない所にある宿屋に入ると、あれよあれよという間に同室に案内される。布団もひとつしか敷いてくれず、二人は同衾することになる。
となれば、落語『宮戸川』を連想せずにはいられない。
ある晩、将棋に熱中して遅くなり締め出しを食った半七。お向かいのお花も歌がるたがもとで締め出しを食っている。半七が叔父さんの家に泊めてもらいに行くと言うと、お花は泊めてもらえる当てがないので、一緒に連れて行ってほしいと頼む。半七は嫌がるが、お花は無理について行く。また叔父さんがさばけた人で、ひとりで飲みこんで二人を二階に上げてしまう。布団も一つしかなく、やむなく二人は一緒に寝ることにする。
ね、似てるでしょ。
寝る段になると、半七はこう言う。
「それじゃあ、ま半分の所に線を引きますから、あなたはあっちに寝てください。私はこっちに寝ます。どんなことがあってもこっちに入っちゃいけませんよ!」
三四郎が布団に入る場面はこうだ。
「『失礼ですが、私は疳性で他人の蒲団に寝るのが嫌だから…少し蚤除の工夫を遣るから御免なさい』
 三四郎はこんなことを云って、あらかじめ、敷いてある敷布の余っている端を女の寝ている方へ向けてぐるぐる巻き出した。そうして蒲団の真中に白い長い仕切りを拵えた。女は向こうへ寝返りを打った。三四郎は西洋手拭を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、その上に細長く寝た。」
私はここを「お前は半七か」と突っ込みを入れながら読んだよ。
『宮戸川』では、やがて雷雨となり、近くに落雷が起こる。思わず半七にしがみつくお花。女の匂いが半七の鼻に届く。ふと見るとお花の裾が乱れ、緋縮緬の長襦袢から真っ白な肌がのぞいている。息を飲む半七…、「この後は本が破れて読めません」と、多くの落語家はここで下げる。まあ二人は結局結ばれるのだけれど。
一方、『三四郎』では落雷なんぞは起こらない。何事もなく翌朝を迎える。二人は名古屋駅のホームで別れるのだが、女は三四郎にこう言って、にやりと笑う。
「あなたは余っ程度胸のない方ですね」
…こっちのサゲはすごいなあ。『三四郎』のこの場面は、詳細に見ていくと謎が多くて面白い。機会があったら、改めて書いてみたいと思います。

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