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2018年1月27日土曜日

境町再訪


仕事で境町に行って来た。境に行くのは2度目。前回は2013年の11月だった。
茨城県猿島郡境町。かつては水運で栄えた町。利根川の対岸にある関宿とは一体と見なされ、関宿藩の城下町であった。現在は茨城県と千葉県に分かれているが、その昔は同じ下総国だったのだ。
午前中に仕事を終えて、午後からは休みを取った。
利根川の土手のすぐ下にある、船町という蕎麦屋に入る。けんちんせいろを食べる。


食後、まず利根川の堤防へ上がる。
月曜日に降った雪が、まだずいぶん残っている。ずっと寒い日が続いていたからなあ。

一面の雪景色。

対岸の関宿城博物館の天守閣。
実は写真中央にかすかに富士山が見えるのである。

境町からの筑波山。

堤防から下りて、街中をぶらつく。この辺は古い家並が残っていて面白い。



前回来た時、一目惚れした高木書店。
閉店したようだ。

高木書店正面。


奥まった所に焼き鳥屋があった。


煉瓦造り。


次来たら、ここで食べるのもいいな。


やっぱり古い街を歩くのはいいね。また機会があれば訪れたいものです。

  *  *  *

自民党の元衆議院議員で、自民党幹事長や内閣官房長官等を歴任した、野中広務氏が亡くなった。
野中氏と辛淑玉氏の共著、『差別と日本人』は、私の座右の書である。
1998年だったか、妻と沖縄旅行に行った時、偶然、那覇のホテルで野中氏の姿を見た。権力の中枢にいる者として、きちんと沖縄に向かい合った人だと思う。沖縄に対し、小学生のいじめのようなことをしている現政権及びその支持者とは、まさに対照的だ。
確かにきれいごとだけでは権力は維持できない。野中氏自身、相当際どいこともしてきたろうし、清濁併せ飲む人でもあっただろう。でも、弱い者に思いを致す心根が、彼の根本にはあった。『差別と日本人』で語られた言葉の中に、それは十分表れている。
92歳、長い間我が国を支えてきてくれたことに敬意を表したい。そして、氏はずっと平和の大切さを主張してきた。その遺志を私たちも受け継ぎたいと思う。
野中広務氏のご冥福を祈る。

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