私が子どもの頃、落語界の長老と言えば、落語協会では六代目三遊亭圓生と八代目林家正蔵、芸術協会では六代目春風亭柳橋と五代目古今亭今輔だった。
ここでは圓生と正蔵について話をしたい。
この二人、八代目桂文楽と五代目古今亭志ん生のように、ライバルだったとは言い難い。芸の評価としては、どう見ても圓生の方が上だったからだ。子どもの私でさえもそう思った。
立川談志は『談志絶倒昭和落語家伝』の中で、圓生の芸についてこのように語っている。
「一口にいうと『昭和の名人』、最後の大名人である。現代でも落語の形式を上手に演じる人はいるが、円生師匠の広い守備範囲、攻撃範囲には敵わない。
声も、あのいい声の中音で、音曲が唄えて、子供の頃『豆義太夫語り』だったから、義太夫は勿論いける。大阪にいたから大阪弁もいける。したがって、音曲噺、芝居噺、滑稽噺、人情噺、短い噺、ばかばかしい噺、何でもいけた。
演目は一番多く、それも桁違いであった。(中略)一つ一つが群を抜いている。極端にいえば“非の打ちどころがない”ということだ。見事である。上手くて面白くて、ばかばかしい。」
絶賛と言っていい。意外なようだが、談志の一つの理想形が三遊亭圓生にあったのは間違いないと思う。
それに対し、正蔵には厳しい。同じ『談志絶倒昭和落語家伝』から。
「高座では、大幹部として扱われていたが、“感情注入が下手”という欠点があって、聴いていて面白くない。したがって、余興に演る茶番、これも感情が入っていないから面白くない。」
『談志 名跡問答』でも、
「(対談相手の福田和也に、正蔵のどの辺が下手だと感じたのか、と訊かれ)どの辺と言うより、曰く下手。(中略)いわゆる『噺の間』がワルい。これは噺家として、その頃は決定的だ。」と言っている。
私が子どもの頃感じた正蔵の面白くなさが、一つ一つ的確に指摘されている。
しかし、このままで終わったのではフェアではない。談志はこうも続けているのである。
「けど、この師匠が、客が少ないとき、人形町末広でとろとろとろとろ演ってるとき、“受けよう”という勘定なしに喋ったときは素晴らしかった。」(『談志絶倒昭和落語家伝』より)
私が40ちょっと前の頃、両国の江戸東京博物館で「大落語展」というイベントがあった。
この時に壮年時代の正蔵の映像を見た。ネタは「五人廻し」。これが面白かった。口調が滑らかでテンポがよく、剽軽なフラがある。正蔵ってこんなに面白かったんだ、と私は思った。
圓生は落語を「演ずる」。緻密な演出のもと、登場人物は一人一人、巧みに演じ分けられる。一方、正蔵の落語は「語り」だ。彼の語りを通して、物語が力強く立ち上る。抒情の圓生に対し叙事の正蔵。「生きている小平次」、「ステテコ誕生」、「笠と赤い風車」・・・、改めて聴く正蔵はいい。
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