森まゆみが書いた、正岡子規の評伝『子規の音』(新潮文庫刊)を読んだ。
東京根岸が子規の終の棲家になるのだが、彼が根岸に越してきたのが明治25年(1892年)だったということを知る。
明治25年といえば、八代目桂文楽が生まれた年ではないか。
八代目桂文楽こと並河益義は、明治25年11月3日、青森県五所川原に生まれた。父が五所川原の税務署長をしており、その赴任先で生まれたのである。
並河の家は、常陸国宍戸藩松平家の家来筋にあたり、もともと根岸の松平屋敷の近くに住んでいた。益義、2歳の時、父が転勤となり、並河家は根岸に戻った。
正岡子規死去が明治35年(1902年)。そして、益義少年が尋常小学校3年で退学し、横浜の薄荷問屋、多勢商店に奉公に出されるのが、その明治35年、子規の死とともに、文楽も故郷根岸を離れることになるのである。この符合は少なからず私を興奮させた。(そんなんで興奮するのも私ぐらいか)
『子規の音』の巻末には、明治33年(1900年)当時の根岸の地図が付いている。早速、文楽の根岸の家が何処にあったのか、探してみることにした。
まず『日本の芸談8寄席芸』(九藝出版)での小池章太郎の語注から見てみる。
『新撰東京名所図会』下谷区之部(明治41年2月刊)の下谷上根岸町、「今昔の景況」の条に、「当町現住者は華族には五十五番地に子爵松平頼安(中略)実業家には八番地に並河靖之(勲章師)」云々の記事が見られる。
小池はこの辺りを並河の家と推察しているようだ。
だが、松平頼安、55番地の敷地はそれほど広くなく、文楽の母が行儀見習いに上がるような感じではない。
ぱっと目につくのは、中根岸町にある松平家。これが宍戸藩松平家の屋敷なのではないか。
文楽は『あばらかべっそん』の中で、「根岸の家というのはちょうどいまの花柳界のまん中でしたが」と言っている。では、根岸の花柳界はどこにあったのか。ネットで調べてみたら、見番が中根岸町106番地にあったとのこと。これが「松平家」の西南の隅にあたる。松平家の東隣には、益義少年の遊び場だった安楽寺もある。これで、文楽の根岸の家は中根岸のこの付近にあったことに間違いない。「なにしろ大きい家で庭も広く」とあるので、松平家の西隣、71番地か?
まあこれから先は資料がないので分からない。でも、ここまで分かっただけでも嬉しい。
下は『子規の音』巻末にあった根岸の地図。
子規庵は上根岸町82番地、前田家敷地内。地図左、青で囲った所。左隣は陸羯南宅、緑で囲っている。さらにその左側は子規が根岸で最初に住んだ家。子規庵の向かいには、洋画家中村不折の家がある(現在の書道博物館)。不折は、漱石の『吾輩は猫である』の挿絵を画いた人である。
中央やや左、55番地(赤で囲っている)が松平頼安の家だという。その右下の8番地、赤で囲った所が並河靖之。
そして、右上端、赤で囲った所が松平家。その左下106番地が見番である。
地図をつまみにあれこれ想像するのは楽しい。
それにしても、色んな所に、色んなことを知るチャンスは転がっているんだなあ。
9 件のコメント:
根岸はすぐ近くの街で知り合いも何人かいます。地図の写真とグーグルマップを合わせてみると今の鶯谷駅の近辺で、ほぼ符合しますね。文楽さんの痕跡がこんな近くにあったとは。写真よりちょっと上ですが、たしか現在の日暮里中央通りが、その昔王子の音無川につながる川筋の名残で、先日ご一緒した浄閑寺のわきを通って山谷堀につながり(今は暗渠)隅田川へ流れ込んでいたそうです。いろいろと思いをめぐらすのは楽しいですね。綾瀬や金町の記事も拝見させていただきました。たくさん歩きましたねぇ。余談ですが、年明けにFBにのせた「きゅうさん」の店は綾瀬にありました。改装して間もなくのことで、残念でしたが、奥さんが出来る範囲で惣菜でもやるのではないかと。陽気が暖かくなりましたら、またどこかぶらっとできたらと思います。では。moonpapa
コメントありがとうございます。
音無川は何かで読んだことがあります。根岸は明治の初め頃、鄙びた郊外だったようですね。
綾瀬はmoonpapaさんとって大事な街だったんですね。
なぎら健壱が東京の東部を「東京のこっち側」と言っていましたが、私にとっても「こっち側」です。しみじみいいなあと思いながら歩いています。
江戸崎は鉄道が通っていないので、けっこう不便です。時間が合えば、ご案内したいものです。
江戸崎、私も地図で検索しました。最寄りの駅はどこになるのですかね。丸一日空けてぶらりとすべきかなと。月曜の祝日ならお互い都合が合うかもしれませんね。車を使うと一杯できなくなるのが残念ですが、街や、落語の話などできればいいですね。moonpapa
江戸崎へ行くには、土浦からバスですかね。
距離的には牛久とか荒川沖の方が近いかもしれません。
車で行くのがいいと思います。
ただ2月24日(月)の振替休日はちょっと都合が・・・。すみません。
急ぐ用ではないので、日にちは今年中にでもという感じでのんびり調整いたしましょう。
根岸の記事、ご近所だけにとても楽しませてもらってますよ。
そうですね。月曜が休みの時もあるので、その時は連絡させていただきます。
明治25年(1982年)
真っ先に目に入った
お恥ずかしい。100年、間違ってしまいました。
こういう間違いをよくするんですよねえ。
ご指摘ありがとうございます。訂正しておきます。
1982年× → ○1892年 でした。
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