いよいよ1日目のハイライト、近江八幡を散策する。
近江八幡市は人口8万人余り、商業都市として発展し、近江商人発祥の地としても知られている。父の運転手で地元の酒蔵を巡った時、近江商人を始祖に持つ蔵がけっこう多かった。
もともとは豊臣秀次の居城があった城下町。織田信長滅亡後、安土の城下町を移したものらしい。
秀次は秀吉の甥で養子。秀吉の長男鶴松の夭逝後は関白職を継いで、名実ともに豊臣家の後継となった。しかし、秀吉と淀君との間に秀頼が生まれると、その立場は微妙なものとなる。やがて謀反の疑いをかけられ、秀次は切腹。加えて、妻妾、子ども、乳母など40名近くが京都三条河原で斬首され、眷属は根絶やしにされた。この秀吉の苛烈な処置は、朝鮮出兵とも相まって、豊臣政権から人心を離れさせる元になった。
秀次自身の人間性にも問題があったとして「殺生関白」の悪名を着せられるが、八幡城下では善政を布いたという。地元では近江八幡市の基礎を築いた人物として評価されており、八幡山公園には銅像も建てられている。
近江八幡は碁盤の目に整備された美しい街だ。日牟禮八幡宮を起点に、縦横無尽に歩く。歩数は優に1万歩を越えた。では、その街並みをご堪能いただきたい。
八幡堀 |
碁盤の目なので、まっすぐ見通せる。 |
こういう板張りの壁が多かった。 |
防火壁「うだつ」も見事。 |
明り取りが施されている、凝った造りのうだつ。 |
愛宕神社は火伏の神様だ。 |
城のあった八幡山を望む。 |
私好みのシブめの建物もある。
市名の謂れとなった日牟禮八幡宮に参拝。
近江八幡を代表するもうひとりの人物、ヴォーリズについては次回書くことにする。では、今回はここまで。
0 件のコメント:
コメントを投稿