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2024年12月30日月曜日

湖国探訪② 近江八幡を歩く

いよいよ1日目のハイライト、近江八幡を散策する。

近江八幡市は人口8万人余り、商業都市として発展し、近江商人発祥の地としても知られている。父の運転手で地元の酒蔵を巡った時、近江商人を始祖に持つ蔵がけっこう多かった。

もともとは豊臣秀次の居城があった城下町。織田信長滅亡後、安土の城下町を移したものらしい。

秀次は秀吉の甥で養子。秀吉の長男鶴松の夭逝後は関白職を継いで、名実ともに豊臣家の後継となった。しかし、秀吉と淀君との間に秀頼が生まれると、その立場は微妙なものとなる。やがて謀反の疑いをかけられ、秀次は切腹。加えて、妻妾、子ども、乳母など40名近くが京都三条河原で斬首され、眷属は根絶やしにされた。この秀吉の苛烈な処置は、朝鮮出兵とも相まって、豊臣政権から人心を離れさせる元になった。

秀次自身の人間性にも問題があったとして「殺生関白」の悪名を着せられるが、八幡城下では善政を布いたという。地元では近江八幡市の基礎を築いた人物として評価されており、八幡山公園には銅像も建てられている。

近江八幡は碁盤の目に整備された美しい街だ。日牟禮八幡宮を起点に、縦横無尽に歩く。歩数は優に1万歩を越えた。では、その街並みをご堪能いただきたい。

八幡堀

碁盤の目なので、まっすぐ見通せる。

こういう板張りの壁が多かった。

防火壁「うだつ」も見事。

明り取りが施されている、凝った造りのうだつ。

愛宕神社は火伏の神様だ。

城のあった八幡山を望む。


私好みのシブめの建物もある。







市名の謂れとなった日牟禮八幡宮に参拝。




近江八幡を代表するもうひとりの人物、ヴォーリズについては次回書くことにする。では、今回はここまで。

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