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2024年12月31日火曜日

湖国探訪③ 近江八幡の洋風建築

近江八幡を代表する人物として、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが挙げられるだろう。

1880年、米国カンザス州生まれ。1905年に近江八幡の滋賀県立商業学校(現八幡商業高校)の英語教師として赴任する。ところが、その熱心な布教活動が原因で教師をクビになってしまう。その後、独立伝道者に転じ、副業として建築設計事務所を創業。全国で約1600にも及ぶ建築設計に携わる。また、米国の塗り薬、メンソレータムの輸入、製造販売も始め、近江兄弟社を設立した。医療や教育など多岐にわたる社会貢献事業を展開、近江八幡名誉市民第一号となった。1964年、83歳で永眠。日本名を一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)といった。

ここ近江八幡にはヴォーリズ事務所の手になるものを含め、多くの洋風建築が残っている。そのひとつひとつを高山T君は案内してくれた。

八幡宮の鳥居の正面に白雲館がある。

元八幡東学校校舎。現在1階は観光案内所に使われている。
明治10年建築。ヴォーリズ来日前の日本人大工による擬洋風建築である。

市立資料館。
元八幡警察署でヴォーリズ建築のひとつ。

八幡商業高校校舎。ヴォーリズ建築。
前身はヴォーリズが働いた県立商業学校。創立140周年の垂幕が出ていた。
滋賀県最古の商業高校は近江商人発祥の地に建てられたのだ。

八幡小学校校舎。

この建物を見るために、学校の敷地の周りを一周してしまったよ。

八幡教会

地塩寮
近江兄弟社の独身寮として建てられた、ヴォーリズ建築である。
現在は1階は教会の会議室などに使用され、2階は牧師家族の住居となっているという。

アンドリュース記念館
ヴォーリズの大学時代の友人、ハーバート・アンドリュースを記念して建てられた。
ヴォーリズ建築最初の建物である。

旧八幡郵便局

1921年建設。ヴォーリズが設計した。

ヴォーリズ記念館
ヴォーリズ夫妻が設立した清友園幼稚園の教師宿舎として設計された。
晩年の夫妻の自邸となった。

こういう家で暮らしてみたいものですなあ。

近江兄弟社のメンターム資料館の向かいにはヴォーリズ像がある。



ヴォーリズは米国の塗り薬「メンソレータム」を輸入、製造販売していたが、彼が設立した近江兄弟社は1974年に経営破綻する。「メンソレータム」はライセンスを取得したロート製薬のものになった。後に近江兄弟社がメンソレータムの製造設備を活用して新たに開発したのが「メンターム」である。

メンターム資料館の前には、メンターム「飛び出し坊や」がいる。



近江八幡は岡林信康の出身地でもある。

岡林の父親は新潟県の出身だが、30歳で滋賀県の紡績工場に就職。その時期にヴォーリズと出会いキリスト教に目覚めた。彼は大阪の神学校に学び、近江八幡で教会を開いた。

岡林はそこで生まれ、近江兄弟社中学、県立八日市高校を経て同志社大学神学部に進む。父の跡を継ぐべく牧師を目指していたが、その後、大学を辞め肉体労働者となり、自作の「山谷ブルース」でフォーク歌手デビューを果たす。彼の『ベア・ナックル・ミュージック』というアルバムに収められている「江州音頭物語」では、キリスト教による呪縛でクラシックと讃美歌しか音楽を知らなかった自分が、盆踊りの江州音頭のリズムに根底から揺さぶられる様が歌われている。

ヴォーリズさん、ここでも一枚噛んでいたか。

岡林の父が伝道活動した金田教会は、近江八幡駅近くに現存する。それもまたヴォーリズ建築であった。

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