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2025年9月3日水曜日

谷田部、阿見を歩く

新潟から帰って翌々日。

この日はお休み。息子二人をつくばに送って行く。前々からそういう予定だった。せっかくだから半日ぐらいぶらぶらしようと思っていた。久々に結城の方にでも、と企んでいたのだが、本日の結城地方の予想最高気温が37度であるということを知り、一気にくじけた。

そこで、谷田部に行くことにした。

つくば市谷田部。つくば市が誕生したときは、ここに市役所が置かれた。古くは谷田部藩があり、海軍の飛行場があり、土浦から水海道へ向かう街道の中継地として、かつてこの町は筑波郡の中心的存在だった。

商店街の中ほどに駐車場があったので、そこに車を止めて歩き出す。早くも気温は30度を超えている。時間が早いので、店はほとんど開いていない。




元は豆腐屋さん。

元は材木屋さんらしい。

歴史的遺跡発見。五角堂。内部には江戸時代後期の発明家、飯塚伊豆七製作の和時計があるという。

この辺で折り返す。一本手前の細い道を行く。






谷田川を渡る。
搦手橋。ということは、この辺りに城があったのだろう。





再び橋を渡って駐車場に向かう。

道が鍵の手になっている。

八坂神社。



1時間ほどぶらついて、まだ9時。

では、もう1ヶ所行こうと思い、阿見へと向かう。

予科練平和記念公園に車を止め、歩き始める。手始めに、海軍道路と呼ばれる、坂道を上る。上り切った所に、配水塔のようなものがある。

それがこれ。


多分、海軍の遺構だと思うけど、何の解説もない。

坂をだらだらと下りると、突き当りは陸上自衛隊武器学校。坂上にある土浦駐屯地とともに、かつて海軍霞ケ浦航空隊があった所だ。



坂下辺りをぶらつく。







かつては飲み屋が軒を連ねていたような匂いがする。

武器学校の敷地内にある雄翔館を見学。ここには予科練出身戦没者の遺影と遺品が展示されている。遺影の数のあまりの多さにたじろぐ。沖縄のひめゆり平和祈念資料館でも似たような感情を覚えた。


入り口にあるのは山本五十六元帥の銅像。


山本五十六は1924年(大正13年)から翌年まで霞ケ浦航空隊副長を務めた。五十六がここにいたのは、わずか1年半。だが、土浦にとっても彼は偉人だ。人間的に魅力はあったのだろうが、その後の神格化が大きく影響していると思う。

戦没者の中には特攻隊員が多い。特攻命令を連発し、敗戦後、自決した大西瀧治郎や特攻に出て死んだ宇垣纒の展示もあり、色々考えさせられた。そのことについては、いつか書いてみたい。

かすみがうら市のだい食堂で、ちょっと奮発してトンテキ定食を食べて帰った。

谷田部には海軍の航空隊があった。阿見は予科練があった所だ。奇しくも海軍ゆかりの地を歩き回ったことになる。昔、若い頃、阿見に住んでいた上司が、「若い兵隊さんが、それこそ失禁脱糞しながら走らされているのを見ました。本当に気の毒で。軍隊は嫌だなあ、と子ども心に思いました」と言っていたのを思い出した

この日も暑かった。また、歩き回ってしまったか。おれも業が深いなあ。


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