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2015年6月27日土曜日

出口一雄 デグチ・プロ編①

出口一雄のTBS退社は、昭和43年(1968年)頃と言われている。定年退職によるものだった。
 その頃には、出口が先駆けとなった落語家の専属契約は有名無実のものとなっていた。ただ一人、八代目桂文楽だけがTBS以外の局には、頑として出演しなかったという。
出口の定年の際に会社は、重役の椅子を用意して引き止めにかかったらしい。しかし、権力嫌いの出口はそれを蹴って退社した。

ただ、芸人たちが黙っていなかった。 京須偕充の『みんな芸の虫』中、「出口一雄-鬼の眼に涙」という文章の中で、三遊亭圓生はこう言っている。
「えゝ、芸はよく分かる人ですよ。そればかりでなく芸人の心組みというものをよく理解してくれている。ですから、あの人の口利きなら安心、あの人に委せておけば大丈夫という…。もちろん芸人を喰いものにするなんてェことはありません。ですからTBSを辞めるのは、定年ですから仕方がないが、そののちも芸界で働いてもらいたいと思いましてね、みんなで担いで事務所を作らせたようなものです。ことに亡くなった文楽さんは頼りにしていました。」 

このような経緯でデグチ・プロは設立された。
事務所は新富町の千枝子夫人の実家。一軒の家を二つに仕切った片方が事務所で、もう片方は夫人の兄が経営する印刷所だった。

 デグチ・プロの仕事について、Suziさんはこう言っている。
「兎に角、伯父の所にみんな集まった最大の現実的理由はギャラの取り分にもよります。デグチ・プロは何処からであれ、もらうギャラの10%をデグチ・プロに、90%はその芸人さんへ、だけのことしかしませんでした。
ある大手プロの話を例にお話しますと(伯父からの又聞き話ですが)、此処は給料制です。月50万なり100万なりと決めたら、その本人がいくら人気が出ても、それこそ頂点の頂点に達しない限り上がりません。
だからみんな独立して行ったんです。だってそうでしょう。1回のステージで100万取れるのに月50万か、100万かしかくれず寮住まいですよ(ステージは月に何回もある)。それが何年も続くんですよ。そりゃ不満ですよね。
そこで独立する。独立すると必ずといってよいほどチョッとの間TVで見られなくなるんです。何故だか解りますか?
当時**テレビは芸人(と言うより芸能人、デグチ・プロは芸人さんだけを扱う所です)ことに歌番組では有名局でした。ところがそれが出来ないんですよ。独立したそのタレントのマネージャーがTV局に頼み単独の彼(又は彼女)の番組放映を依頼し、TV局が受けたとします。するとこのプロからの回答はこうなるのです。『そうですか、そうですか・・・最近ウチから離れて独立した○○さんの単独番組をやられるんですか。それじゃ今**曜日のウチの若手**ちゃんや***ちゃんの出ている人気番組は今回の放映を以って終了とし、下ろさせて頂きます』ってね、これではTV局は困っちゃう。 仕方ないんで独立したその芸人さん(歌手)に言う『ま、ま、本当に申し訳ありません。ウチにも何かと事情がありまして、言いにくく心苦しいのですが・・・チョッと、チョッとの間で良いんです。ま、ほとぼりが覚めるまでチョッと待って・・・お願いしますよ・・・すみません』って言われてしまうんです。
如何に人気のある歌手でもこれですよ。商品販売だったら独禁法違反でナントカできるのですが、こう言う世界はそういうカラクリがあるんです。
仕方なく彼らは金稼ぎのためにドサ回りか、都内の有名ナイトクラブ出演です。だから独立するとしばらくテレビに出ないなあ?ッて大衆は思う。そして忘れられたら?人気商売は其れこそオシマイ。其れが怖くて皆独立が出来ないんです。しかし住む所や宣伝その他全てを大手はやってくれます。独立したら全て自分でやるんですから、馬鹿じゃ独立できないんですよ。それなりに事業意欲も知識もいわゆる<利巧さ>が必要なんです。
ま、ギャラ自体はナイトクラブのほうが良いくらいなんですが、名が売れないんですよ、地方の隅々までね。TVはその点何処までも入っていく。TVやラジオの強さってそこです。
日本を離れて40年近くなり、今の時代の事はなーーーンにも知りません。
過去における知識から言うとNHKに出演するのってギャラは低いけど、当時のNHK番組は日本全国津々浦々何処にでもつながっていました。だからみんな出演したんですよ。
伯父にこう説明されたことを覚えています。
『考えてみろ。俺の取り分は10%だろ、人気が出てギャラが上がりゃその10%。下がっても10%なんだ。みんな喜んでくれたよ。芸人の芸を大事にしてやらにゃ絶対にいかん。でもな、あそこはな、生活面から宣伝から全てやってやる、って会社制なんだよ。俺は、私生活は勝手にやってくれだ。副社長はこういう商売屋の娘だからそういう仕事のやり方を良く知ってるやつでね、あの会社の実質的基盤つくりは彼女が作ったんだ。社長はお人好しの面を一杯持ってるやつだったよ。あいつ一人じゃあの会社はあそこまでどころか、上手く伸びたりはしなかっただろうなあ』
しかし、伯父は芸人さんを扱う会社をやっているのに口は本当に下手っクソでしたね。芸人さんの結婚式には呼ばれるんですが出るのも嫌。裏方の出る所じゃない。自分の仕事をわきまえろ、の一点張り。ましてやスピーチなんてとんでもない!それどころか人前で話すことの出来るタイプじゃないんですよ。 父が言ってました。『あいつは何でなんだろう、人前で話すってのはホントに出来ねェヤツなんだよなあ』でした。
ぶっきら棒な口しかきけない人でした。父は結構論理的にモノを話す研究者的性格でしたが。伯父は全く反対。心と心、腹と腹、芸を芸として価値を認め、それに沿った生き方でした。飲み会での座談しか出来ない人でした。 『芸人の芸を認めることをしなきゃいかん。もう河原乞食の時代じゃねェ。でもな、芸人が毛皮着て高級車乗っちゃまずいよなあ。河原乞食の根性と芸に精出すこと忘れちゃったんじゃその時点から芸は落っこちて行くんだ』あの伯父の言葉は忘れません。私が今やっている写真屋もまた職人。自分の腕に厳しくなくちゃいけない、という原点の戒めになっています」

お詫びと訂正。
以前掲載した写真の注釈に誤りがありました。以下のように改めて掲載するとともに、お詫び申し上げます。


撮影場所は出口家の親戚である善照寺の客間。
前列右端が出口一雄、左端が妻千枝子。
前列中央は親戚の寺の住職安藤厚。
後列安藤専(厚弟,一雄の紹介でポリドールに勤務)。
後列向かって右が弟出口利雄(Suziさんの父)。

写真はSuziさん提供。

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