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2019年10月15日火曜日

南千住を歩く①

昨日は南千住へ行った。 ブログの読者である、moonpapaさんに地元を案内していただいて、一杯やろうという企画なのだ。
待ち合わせの時間より、少し早くついてしまったので、ちょっとだけ駅の周辺をぶらつく。自分の嗅覚の確かさを思う。



午後3時にmoonpapaさんと合流。あいにくの雨模様だが、これはこれでいい雰囲気。
まずは、昔、寄席だったという建物を見る。

かろうじて「演芸場栗友亭」の字が見て取れる。

窓枠が洒落ております。
立川談志の『現代落語論』に次のような記述がある。(moonpapaさんに教えていただき、確認した。)

 千住の栗友亭は「千住の骨通り」にあって、楽屋もきれいで、広く、気持ちのよい寄席だったが、やがて浪曲の寄席になり、次に漫才協会とタイアップして漫才の定打ち館になった。リーガル千太・万吉さんの弟子で、ここの寄席から誕生した「一休・三休」という漫才師がいた。栗友亭からスタートしたので、「クリトモ一休・三休」といって、NHKの若手漫才コンクールで一位に入賞し、
〝今度、やっと師匠の名前のリーガルが貰えるようになったんですよ〟
 とわたしに喜んで語っていた一休も、無慙、あの三河島事件の電車に乗り合わせ、死んだ。

その相方、「三休」が、後に地下鉄漫才で一世を風靡する「春日三球・照代」の三球である。
それにしても、その栗友亭の建物が現存していたんだなあ。感動を覚える。

それから、素盞雄神社にお参り。延暦14年(795年)、役小角の弟子、黒珍が牛頭天王、飛鳥権現の二柱の神が降臨した奇岩を祀ったのが起源とされている。

拝殿。

本殿。

起源となった瑞光石。
江戸時代は浅間神社が祀られ、富士塚となった。

神楽殿も立派。

6月には盛大に天王祭が行われる。お神輿がすごいらしい。一度見てみたいものであります。

神社を出て、千住大橋まで。実は私、橋も好き。
昭和2年竣工の重厚な造り。素晴らしい。



隅田川を挟んだ向こう側が北千住、足立区。こちら側が南千住、荒川区である。
橋のたもとに「八紘一宇」の碑があった。


とりあえず、今日はここまで。
もうちょっと続きます。

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