この中でふれられている「昭和の名人」の中で、師五代目小さんに次いで、小三治が多く紙幅を割いているのが、黒門町、八代目桂文楽である。
小三治の文楽論を見てみよう。
私は必ずしも、八代目桂文楽という人に憧れてたわけではなかったんです。でも、こないだラジオで久しぶりに聞いたら、聞き慣れているはずなのに、すごく新鮮に感じた。素晴らしかった。今のやつは自分も含めて、余計なことを言い過ぎる。文楽師匠の噺は「削ぎ落した」って当時から言われてましたけど、当人は削ぎ落したとは思えない。ふつうのことをふつうに言ってるだけなんだけど、その世界や心が伝わってくる。素晴らしいなあと思いました。今になって桂文楽って名人じゃねえかって、改めて思うんです。いや、こないだまで思わなかったわけじゃない。こうじゃなきゃなあって、今の落語界を見てもそう思うんですけど、受けたい、受けたいっていう受けたいは、「こうしたい」んじゃなくて、「人からこう思われたい」っていうもので、評判ばかり気にしてる。そういうことじゃないんです。人が生きていくうえでの心はこういうことだって、噺はちゃんと持ってるんだから、それをまず伝えてもらいたいよ。そのうえでちょっとお飾りに、こんなこと言ってみたり、あんなこと言ってみたりってそれは構わないけど、なくったっていいんです、そんなものは。
一時、小三治が傾倒した六代目三遊亭圓生については、「うまいなと思うし、すごいなと思うところはあるんですが、心をゆさぶられない。『牡丹灯籠』やほかの人情噺を聞いても、その噺に心をゆさぶられたりはするけど、その奥にいる演者に心動かされることはなかった」と述べているから、文楽への評価がいかに高いかが分かる。
似たようなことをどこかで読んだな、と思って本棚を漁ってみると、『CDブック・八代目桂文楽』(1998年刊)にあった。
山本文郎が司会を務めた五代目小さんとの鼎談「生きることがすべてが〝芸〟だと教えてくれた師匠」での小三治の意見である。
ただ私はね、世間の方と違うのは「文楽師匠はいつでもきっちり同じにやって、いつ聴いても同じだ」っていわれるでしょう、その「いつ聴いても同じだ」っていう言葉に非常に抵抗を感じるんです。私はね、こんなに違う師匠はいないだろうと思ってます。それはね「いつ聴いても同じだ」っていうのは私からするとまだ聴き方が素人だな、と思うんです。生身の人間だから、同じわけはないんです。同じだったら、一回録音すればあとは要らない。そのね、せりふも同じ、てをにはも同じ、その心意気も同じ。すべて同じに見える中に、いつも何か師匠自身の噺との対話がありましたね。私はそう思ってます。だから、同じなのにすごく感動するときと感動しないときとあります。乗る乗らないって言葉で一言で片づけてもいいですけど、その差ってのはことばがきっちり決まってるだけにとても大きかったです。
私は後年文楽ファンになりましたから、ファンになってからその差はすごく感じましたね。ファンになる前はね、いつ聴いても同じだと思ってましたよ。だから、物書きの人たちでも「いつも同じ」という表現しかしないけども、私は志ん生師匠のほうがもっと同じなんじゃないかと思います。心としてはね。ただ、演技で表へ出てくるものが二人は違いましたからね。ぞろっぺい(おおまか、いい加減)な部分を言葉でごまかしてましたから、志ん生師匠は。そういう点では、噺のたびごとの心の揺れ動きってものとは、文楽師匠の方が真剣に戦ってましたね。
小三治は、世間での文楽の「いつも同じ」という評価に強く反論している。これは文楽をリアルタイムで聴いていた人だからこそ言えることだろう。
録音でしか聴いていない私には正確には分からない。ただ、「文楽はアドリブが得意ではなく台詞を固めざるを得なかったものの、台詞が変わらないというだけで、噺自体は躍動していた」という私の持論に通じている。
「いつも言うことは同じ」の向こうにあるものを見る、小三治の目は確かだ。
文楽はただの「精密機械」ではないのである。
小三治は、文楽の噺を自分が演じることの困難さについても語っているので、それも紹介しよう。
この『癇癪』という噺は、亡くなりました文楽師匠が得意にしてた噺で、初めて文楽師匠の噺を聴いたときには、ああ面白い噺だなぁ、いつかああいう噺ができたらいいなぁ、落語らしくない噺だな、というような、そんな感じがありまして、で、おぼえまして、しばらくやってたんです。ところが、どうしてもうまくいかない。
どうもその、文楽師匠、いわゆる黒門町といっていた昭和の名人とも言われる人ですね、志ん生と並んで天下を二分したという、その桂文楽という師匠の噺が頭からついて離れない。
(中略)
志ん生師匠の噺はね、けっこう、あの、直しやすいんですよ。
第一、本人が何ゆってっかわかんないんですから(笑)。(志ん生師匠の真似で)「ンェ~でやんしたァ、ン~、そうです」なんて、何がそうだか、ちっともわからない(笑)。
そこへいくってえと、文楽師匠のほうはまことに理路整然として、何が何どうなったって、どうなってもこうなるからこうなる、って、なるほどそれは納得させられます。話術も、見事なもんでございました。あまり見事にやられますってえと、そこから離れるということが難しくなります。(『もひとつ ま・く・ら』より「黒門町の『癇癪』」)
文楽師匠の『船徳』。特に若旦那の姿に鮮烈な印象を受けた。この「黒門町の呪縛」から抜け出す為にもがき苦しんだ。あの『船徳』を聞いていない人がうらやましいとさえ思う。(『落語の友・創刊号』より「印象に残る『船徳』」という質問に対して)
小三治の言葉を通して、文楽落語のすごみが立ち上がる。目利きとしての小三治も、またすごい。
0 件のコメント:
コメントを投稿