この前、石岡を歩いていたら、モリコービルがシャッターを開けていた。
横から見るとこんな感じ。窓も全開。再利用が決まったのだろうか。それとも・・・。
私たちよりちょっと下の世代は「石岡といえばコーキ」だろうが、私たちは「石岡といえばモリコー」だった。
前にも書いたが、ちょっとばかり、モリコーの思い出を綴ってみたい。江戸の旗本より日野の百姓の方が幕府に忠誠をつくしたように、在の田舎者の方が、こういうものに思い入れが強いのだ。
モリコーは、私の記憶ではデパートである。しかし、現存するこの建物を見ると、デパートと呼ぶには無理がある。ちょっと大きな衣料品店、ぐらいのものであろう。
でも、ここは石岡華やかなりし頃の中心地であった。
モリコーにはバスで行く。常陽銀行前で降りると、そこには噴水型のオレンジジュースの自動販売機があった。いやがうえにも心は踊るのだった。
まず、この店にはエスカレーターがあった。エスカレーターができたのは、私が小学1年生の時のことだ。「モリコーにエスカレーターができた」というので、近郷近在から乗りに来たのだ。エスカレーターは1階から2階まで、しかも上りのみだったが、その出現は十分に衝撃的たっだのだ。
2階の小さな窓の所が食堂だった。ここでカレーライスを食べて、辛かったんだな、「お母ちゃんのカレーの方がうまい」と言ったことがある。母が困ったようなうれしいような顔をしていた。(うちのカレーはハウスバーモントの甘口だったんだけど)
次の写真は1999年のもの。まだ当時をしのばせる。
屋根があって、双眼鏡らしきものが見える。
この屋根の下では、こんにゃくの味噌田楽を売っていた。旨かったなあ。
そして、何と言ってもここには屋上遊園地があった。屋上遊園地と言っても、コインゲームとコインで動く乗り物があったに過ぎない。それでも、私たちにとっては夢の楽園だった。
魚雷を撃って戦艦を沈めるゲーム、機銃で戦闘機を打ち落とすゲームなんかが最新式だったな。ハンドルを操作するドライブゲーム、ネズミ叩きゲームなんかもずーっとあって、人気があった。そうそうロケットの乗り物もあったっけ。親が買い物をしている間、夢中になって遊んでいたよ。
私が小学校の高学年の頃、それまでさえない衣料品店だったコーキが、コーキショッピングプラザとして生まれ変わった。お客はどっとそっちに流れたな。
高校の頃、土曜の午後にモリコーの屋上に上がったことがある。人気もない。こんにゃくおでんは食べたような気もするし、もう店は閉まっていたような気もする。よく覚えていない。ただ、古ぼけたゲームが昔のまんまあって、時が止まっているようだったのは覚えている。
モリコーがいつ閉店したのか、私は知らない。