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2018年11月8日木曜日

彩美亭


笠間市(旧岩間町)の彩美亭。
結婚したての頃、妻とよく休日のお昼に食べに行った。
当時、私はペスカトーレ、妻はじゃがいもとツナのピザが好きでよく食べたものだ。
数年前にメニューを絞り、ランチは肉料理に特化した。豚肉は茨城特産のローズポーク。
これが大成功を収める。
この日もテーブルは満席。カウンターに案内される。
日替わりランチを注文。チーズのポークソテー、デミグラスソース。サラダ、ごはん、味噌汁が付いて、感動の920円。


精肉店が経営しているだけに、お肉が絶品。厚っぺらの肉にかぶりつくと、もう口の中が大変な騒ぎ。旨し。


2018年11月6日火曜日

笠間に行く

またしてもこの間、平日の休みがあった。別に仕事をさぼっているわけではないが、休日に仕事が入ったりして、たまにこういうことがある。
この日は、妻も用事があって出かけるとのこと。お互い単独行動とする。とは言っても、そうそう寄席に行くほどの資金はない。笠間の日動美術館で藤田嗣治の企画展をやっているので、見に行こうと思い立つ。

秋晴れ。気持ちいい。
日動での企画展は「藤田嗣治と陽気な仲間たち」。藤田を中心に、ゆかりの人々の作品が展示されている。藤田の乳白色が美しい。

フランス館へと向かう中庭。
ここからの眺めが好き。

フランス館の屋上にある彫刻。

笠間市街を望む。

せっかくなので、笠間稲荷神社にお参りに行く。
菊祭り期間中で、平日だが人が多い。

老舗の旅館だった建物。
歴史資料館として、リニューアルオープンした。





神社の裏手に回る。楼門や拝殿は昭和の建築だが、本殿は江戸時代のもの。彫刻が見事で、見ていて飽きない。




本殿の裏には、たくさんのお狐様が奉納されている。頭の上には小っちゃな油揚げがお供えしてある。




笠間稲荷は絵馬や奉納額も面白い。眺めていると、思わず時を忘れる。それぞれにストーリーがあるんだよね。





門前の店で、名物「バター饅頭」をお土産に買う。
途中、岩間で昼飯を食べて帰る。
午後は妻と「バター饅頭」を食べながらお茶を飲んだ。
お蔭様でのんびりできました。

2018年11月4日日曜日

鈴本演芸場 10月下席夜の部

鈴本演芸場、10月下席夜の部は、特別企画「喬太郎が語る圓朝作品集」。
次の日が仕事なので、昼席をと考えたのだが、ふと前売り情報を見てみたら、まだ席に空きがある。やはり一番聴きたいのはこれかな、と思い直し、チケットを取った。

開演前に入場。その時点で、あまり客は入っていない。前売りがほとんどだから、皆、急がなくてもいいんだね。
前座は柳家緑助、『つる』。この後すぐ、11月1日に二つ目に昇進したらしい。
二つ目、柳家小太郎は『ん廻し』。さん喬門下。元気がいいね。かくし芸のくだりで手品をやってた。昔、落研の後輩、松風亭風°鈴(ぷりん)さんが、確か『松竹梅』で手品を入れてたと思ったな、ふと思い出したよ。
ここから真打。柳家小八。先年亡くなった喜多八の弟子だった。二つ目の「ろべえ」の頃に聴いたことがある。喜多八の思い出話が楽しい。喜多八の死後、小三治門下に入った。東京農工大で物理学を専攻したと聞いて、小三治が「物理を落語に生かせ」と言ったという。「どうやって生かせばいいんだ」と言いつつ、『千早振る』に入っていく。「竜田川」を相撲取りではなく川の名前だ、という所で、客席は「ん?」となる。ここから、見事に物理学を生かした『千早振る』が展開されるのだが、ネタバレになるといけないので、詳細は省く。ヒントは「ニュートリノ」、「カミオカンデ」でしょうか。客席は大ウケでありました。
林家しん平は漫談。お腹をこわしているとのこと。焼き肉屋のネタで爆笑を誘う。
お次は三味線漫談、林家あずみ。たい平一門。開口一番、「しん平師匠が『座布団にうんこがついてるかもしれないよ』と言われましたが、高座返しをしていただいたので、私は大丈夫。うんこが付くとすれば、次の百栄師匠です」と言って客をつかむ。喋りが面白い。最後に美輪明宏とレベッカのnokkoの物まねで音曲をやる。この人、売れると思うよ。
そして春風亭百栄、登場。相変わらずあやしい。喬太郎作の新作。猫の縄張り争いの話。喬太郎ワールドと百栄ワールドのコラボレーションか。自分の世界を持っている人は、強い。
中トリは古今亭文菊。端正な高座。写真で見る若き日の八代目桂文楽に似ているな、と思っていたら、何と黒門町ネタ『馬のす』に入っていく。いやあ、たっぷりと間を取って、聴かせる噺にしたなあ。もっと軽く演っていいネタだとは思うけど。でも、上手い。さすが。
ここで中入り。もはや満席、立ち見も出ている。トイレにも行列ができた。
クイツキは漫才のすず風にゃん子・金魚。金魚ちゃん、ハロウィンバージョンの髪型だといって、身長の3分の1ぐらいの飾り物をつけていた。後半は延々とゴリラのモノマネ。すげえなあ、とても後期高齢者には見えない。
春風亭一朝、『芝居の喧嘩』。ベテランの味。抜群の安定感。こういう人が出ると、高座が締まる。
膝代わりは林家楽一の紙切り。注文に「スーパーカミオカンデ」が出る。
そしてお待ちかね。トリの柳家喬太郎が高座に上がる。
この芝居は10日間ネタ出し。これが壮観。『錦の舞衣(上・下)』、『指物師名人長次~仏壇叩き~』、『怪談牡丹灯籠~お富新三郎~』、『怪談牡丹灯籠~お札はがし~』、『怪談牡丹灯籠~栗橋宿~』、『死神』、『文七元結』、『真景累ヶ淵~宗悦殺し~』、『縁切榎』。10日通った人もいるだろう。私には金も時間もないや。
この日は楽日。珍品の『縁切榎』。「今日は人も死にませんし、しみじみする人情もありません」と喬太郎。リラックスムードでマクラが続く。三遊亭白鳥が圓朝直系という話題になって、「白鳥さんを知らない人手を挙げてもらえます?」と喬太郎が客に振る。誰も手を挙げない。「えー、そうなの? 知らない人いないの? どうかしてるよ」と驚愕していた。誰もが少しは知らない人がいると思っていたんじゃないかな。すげえな。改めて、ここにけっこうコアな落語ファンが集ったのだと気づかされた。
時は明治初頭、若様が芸者と武家のお嬢様と同時に深い仲になり、どちらを選ぶかに苦悶するという噺。圓朝らしからぬドタバタ喜劇。現在やり手がいないということは、噺自体が面白くないということなのだろうが、これがまた、どっかんどっかんウケる。多少言い間違いはあるが、それを笑いに変える対応力はさすが。何より、いい加減な若様と、女二人の描写が見事。芸者の色気、潔さ、かわいらしさ、武家の娘の可憐ないじらしさ、女たちが立派に現代(いま)に生きている。やっぱり喬太郎は上手いねえ。気づくと女性の一人客が多い。彼女たちの心に喬太郎の落語は響くんだろうな。
充実の40分。こうなると、『怪談牡丹灯籠』や『真景累ヶ淵』も聴きたかったなあ。今の落語ファンのど真ん中にいるような感覚を体験できました。

余談だが、私は、この鈴本演芸場で、林家たい平と柳家喬太郎の真打披露興行を観ている。この時はたい平がトリで『紙屑屋』、喬太郎が自作の『午後の保健室』を演じた。たい平のサービス精神と、喬太郎の奇抜な発想、確かな人物描写に、私は、彼らがこれからの落語界を背負っていく逸材であることを確信した。
あれから18年、その柳家喬太郎が圓朝作品を語る特別興行で鈴本を10日間いっぱいにしたんだなあ。そう思うと感慨深い。


2018年11月3日土曜日

南武線、小田急線、途中下車の旅

尻手駅から南武線に乗る。
尻手のホームは、学生時代そのまま。まるで時が止まったようだ。


浜川崎行きの電車。車両は新しくなった。

鹿島田で途中下車。ここで降りるのは初めて。少年隊の東山紀之が少年時代を過ごしたのは、この辺りにある公団住宅らしい。
駅前商店街を歩く。





ここで昼飯にする。こんな看板を見つけて、ふらふらと店に入る。これが大当たり。


夜は居酒屋になるお店。迷わず「イチオシ」のアジフライ定食を頼む。もちろんお休みのお楽しみ、ビールもいただきます。


ふっくら、さくさく。ビールに最高の組み合わせ。

アジフライ定食、750円。ビール大瓶、550円。充実の昼食。旨し、であります。
これから、また南武線に乗って、登戸まで行く。
登戸駅はすっかり変わってしまったが、駅前の一角は当時のままだ。



小田急向ケ丘遊園駅まで歩く。

よく利用した南口。

北口は駅舎がかわいい。

北口に出て、商店街を歩いていくうちに、結局、多摩川まで行ってしまう。



南武線の線路を渡る。



河原のおでん屋さんは、店を閉めちゃったのね。

ここからは登戸駅の方が近い。
駅前再開発の中、ひっそりと昔のままの一角がある。



今度は小田急線に乗り、経堂で途中下車。
商店街をぶらぶら歩く。古本屋で大岡昇平『武蔵野夫人』の文庫本(創元社版である)を買い、ドトールに入ってコーヒーを飲む。




上野に着いたのは4時過ぎ。
蓮玉庵に入って、散歩の締めは、鳥南蛮で燗酒。これがたまらない。




お客がいなかったので、おかみさんと少し話をする。
鳥南蛮はファンが多いそうだ。鳥わさにして出してもいい鮮度のいいのを、ミディアムレアの状態で供する。「火を通し切っちゃうと、ぱさぱさになっちゃうんですよ」とのこと。歯切れのいい東京言葉が心地よい。
お酒を2合で切り上げお勘定。締めて2500円。贅沢なひと時を過ごせた。
さて、それではいよいよ鈴本演芸場へ向かいますか。

2018年11月2日金曜日

川崎駅西口から尻手駅へ

この前、平日の休みがあった。
生憎、妻が仕事だったので、ひとりで寄席に行くことにする。
せっかくだから、久しぶりに学生時代住んでいた川崎を歩いて来ようと思い立つ。

川崎駅の西口に出たのは10時過ぎ。ここから昔住んでいたアパートの辺りを歩いて、南武線の尻手駅まで行くつもり。

川崎駅西口に、もはや昔の面影はない。
南河原町銀座をぶらぶら奥へと進む。

お店も大分少なくなっちゃったなあ。

この蕎麦屋は学生の頃からあった。かつ丼をよく食べたよ。

小学校の前にあったこのお店は、文房具屋さんだったのでしょうな。

森永の牛乳屋さん。

懐かしのエンゼルマーク。

南河原町銀座が尽きたところで左に曲がる。「温泉通り」という通りらしい。ここを歩くのは初めてだ。

川崎温泉由来の碑。
この場所に、昭和22年、大黒湯という銭湯が開業。翌年温泉が発掘された。
平成5年に廃業ということは、私が学生の頃にはあったんだねえ。


そろそろアパートの方に向かおう。
アパートの近くにあったお豆腐屋さんの建物も今はない。跡地ではけっこう深く掘って基礎工事をしていたから、高層マンションでも建つのだろう。

この通りは市電が通っていたのか。


アパートがあった路地。
もちろん当時私が住んでいた建物は残っていない。

しかし、隣は当時のままだった。

私が学生時代通っていた銭湯。天然温泉だったんだ。
尻手駅へ。いつも利用していた歩道橋に上る。
毎度のことだが、私はこの歩道橋に上るたび、友川カズキの『歩道橋』という歌を思い出す。

秋晴れ。空気が澄んでいたので期待していたら・・・、

尻手駅の向こうにうっすらと富士山が見えた。

どうしてもここを撮ってしまう。

尻手駅。ほとんど昔のままだ。
駅前の小道も、あんまり変わんないなあ。
尻手駅から南武線に乗る。そろそろお昼。どこかで途中下車して昼食にしよう。