ページビューの合計

2011年7月13日水曜日

落研部員の一日

落研の活動は、月曜から金曜までは昼休みに行っていた。
私の場合、1限目の授業に出た後、学食で朝飯を食い、2限目の授業に出るか、そのまま部室へ行った。
部室は坂道を上ってきて最初の建物、通称「螺旋階段」と呼ばれる棟の中にあった。向かい合わせで二部屋を落研が所有し、一つを通常の部室、もう一つを和室として使っていた。
和室は落語の稽古をつけてもらったり、寄席の時に着替えをしたり、上級生から説教されたりする神聖な場所で、普段は飲食禁止だった。(学祭のコンパの時だけは開放され、大手を振ってそこで酒が飲めた。)
1年のうちは、先輩を待たせるのは御法度なので、皆息を切らせて部室に飛び込んでくる。(私はそれが嫌で2限目の授業に出なくなっていった。)
そこで、約1時間活動をする。細々したことは大福さんの方が詳しいだろう。(何せ彼は代表をやっていたからね。)確か、月曜は近くの緑地公園へ行って発声練習(もちろん、1年は全力疾走で移動、…って野球部か)、水曜は教室を借りて校内寄席(もちろん、1年は全力疾走で移動、…って野球部か)、他は「落語鑑賞会」とか「大喜利」とかやっていたなあ。
活動が終わると、昼食になる。1年はまず先輩に「今日はどこですか?」と訊く。「上」と言われたら、さらに少し坂を上った所にある食堂館、「下」と言われたら、すぐ向かいにある森永食堂という意味だ。そこからまた1年は全力疾走。座席を確保し、水を用意する。そして、先輩が入ってくると、「何にしますか?」と訊いて、食券を購入する。基本的に昼飯は先輩が奢ってくれるが、先輩より高いものを食べるのは許されない。だから、森永だったら、150円のランチか130円のカレーをよく食べた。
食後の一服をする先輩には、もちろん火をつけて差し上げる。ライターを使っていいのは2年から。1年はマッチしか使ってはいけない。すぐに火をつけられるように、2本は箱から出して蓋と箱の間に挟んでおく。
食事が終わると部室に戻り、暫し雑談。そのうち麻雀に行こうという話がまとまれば、馴染みの雀荘「みどり」へお供する。寄席と言われれば、新宿末廣亭か池袋演芸場へ。飲みと言われれば、これまたほいほいとついて行った。
それじゃあ、午後の授業はどうしたんだ、という声もあるかもしれない。申し訳ない。ほとんど出なかった。だけど、それが当時の落研部員の(とりわけ男子部員の)ごく普通の姿だったのだ。
(もっとも、私の後輩からは授業によく出る人たちが増えた。彼らの言い分は「だって授業料がもったいないでしょう。」というものだった。もっともだとは思ったが、一方で私たちは「この頃の1年は授業に出やがる。」なんてことを言っていた。今思うと、とんでもないこと言っておりましたなあ。)

0 件のコメント: