「新生」の明治と「破滅と再生」の昭和とに挟まれた大正という時代は、いささか影が薄く感じられる。実際、明治の45年、昭和の64年に対し、大正は15年と短いしね。
でも、この本を読むと、その大正という時代が鮮やかな光芒を放つ。
大正を彩った女性たちの列伝だ。それは、望月百合子を始めとして、与謝野晶子、平塚らいてう、宇野千代など42人に及ぶ。
大正デモクラシー、自由と平等、女性解放。旧態然とした社会の中で、彼女たちは闘った。闘うために、女の命と言われた髪を切った。
ある者は文学に芸術に、ある者は社会運動に革命に、そして恋愛に、命をかけ生きた。
それを、筆者は彼女たちに寄り添い、丹念に紹介する。その自由さ、奔放さ、真摯さに、読む者は圧倒される。
この本を読んでいて、私はあることに気がついた。彼女たちは、私の祖母と同世代の人たちだったのである。
私の祖母は明治30年に生まれ、大正12年頃、最初の結婚をして浅草に住んだ。関東大震災を経験し、その後離婚して田舎に帰って、昭和10年代に、私の祖父と再婚した。祖母は私を溺愛し、私も祖母が大好きだったが、血のつながりはない。
「断髪のモダンガール」たちが、自由のために闘い、恋に生きていたその同じ空間に、祖母もいたのだ。東京の片隅で、何を生業としていたかは知らないが、決して裕福な暮らしをしていたわけではあるまい。数年で結婚生活が破綻したところをみると、平穏で幸福な毎日とは言えなかったと思う。実直で働き者の祖母は、きっと自由も解放も知らず、懸命に働いていたのだろう。
そして、その祖母が住んでいた目と鼻の先にある吉原遊郭では、『吉原花魁日記』の森光子に象徴される、貧窮故に身を売った女性たちがこの世の地獄を味わっていたのだ。
大正というのは過剰な時代だったのだと、つくづく思う。
この本には、取り上げられた全ての女性たちの写真が掲載されている。美しい人は美しく、それなりな人はそれなりに写っているが、美醜なんて関係ないな。皆、激しく生きたことが形に表れている。
ついでに言えば、この42人は何らかの形でお互いが関わり合っている。まあそれだけ狭い世界だったということかもしれない。巻末の相関図が楽しい。
大福さん、コメントありがとうございました。妻の方は術後の経過も順調です。うまくいけば、来週末には退院できそうです。そちらの方こそ、お大事にしてください。
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