立川談志死す。まさに巨星墜つ、である。
今日は一日休みで、子どもたちとキャッチボールをし、白帆の湯に行ってゆっくり温泉につかり、家に帰ってクリスマスツリーを出し、今日はいい一日だったなあと晩飯前にテレビを見ていたら、このニュースが速報で流れてきた。
ここのところの談志の衰えようを見て、ある程度覚悟はしていた。
ああ、そうか、とうとうこの日が来たんだなあ。
以前このブログで「立川談志考」という文章を書いているので、ここで彼について長々と書くつもりはない。ただ、立川談志という人は、私の青春時代を強烈に彩った落語家であった、かつて落語の演者のはしくれだった私に圧倒的な影響を与えた落語家であった、ということだけは言っておきたい。
たくさんの人が、この稀代の天才の死を悼み彼について語るだろう。
しかし、談志が先代林家三平を、先代金原亭馬生を、古今亭志ん朝を悼んだように、彼を悼んでくれる者は、多分いない。あれもまた名人芸であった。
亡くなったのは21日だったか。志ん朝の死から10年。それからの談志は、何だか色んな事に絶望していったように思える。
走って走って走り抜いた75年の生涯だったのではないか。ご冥福を祈る。立川談志と同時代に生きたことを、私は誇りに思います。
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