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2011年11月29日火曜日

『鼠穴』について語ろう①

昨夜、録画していた立川談志のドキュメンタリー番組を観ていたら、爆笑問題の太田光が自分たちのライブに談志を招き落語を演ってもらった場面が出てきた。太田がリクエストした噺は『鼠穴』。いいよな、談志の『鼠穴』。初めて私が池袋の主任をとった談志を聴いたのが、この『鼠穴』だ。あらすじは次の通り。

父親の遺産を半分に分けた兄弟。兄は江戸へ出て商売で成功する。弟は田舎に残るが、遊びを覚え遺産を食い潰す。どうしようもなくなって江戸へ出て、兄に「店で雇って欲しい」と頼むが、兄からは「元手を貸すから自分で商売を始めろ」と勧められる。金包み開けて中を見ると入っていたのはわずか三文。弟は憤るが一念発起。ここから身を起こし、粉骨砕身働いて、やがて深川蛤町に蔵が三つもある店の主人となる。ある冬の晩、弟はかつて借りた元手を返しに兄の店を訪れる。ここで兄の真意を知り兄弟は和解。酒を酌み交わす。蔵に鼠穴があることから、火事を心配し帰ろうとする弟を、兄は「もし焼けたら俺の身代をやる」とまで言って引き留める。その夜は兄弟仲良く枕を並べて寝た。夜中、果たして深川で火事が起きる。蔵の鼠穴から火が入り、店は丸焼け。弟は零落する。尾羽うち枯らし、弟は兄のもとに行き商売の元手を借りようとするが、思うような金は出せないと突っぱねられる。やむをえず娘を吉原に売って、やっと手に入れた金を帰り道にすられ、絶望して首をくくって死のうとしたところで目が覚めた。火事以降は夢だったのだ。サゲは夢オチの定番「夢は五臓の疲れ」の地口で「夢は土蔵の疲れだ」である。

この噺について八代目桂文楽は、「最初に兄弟が話すところ、弟は田舎から出てきたばかりだから、本当の田舎言葉。兄貴の方は江戸に出てしばらく経っているから、少し薄れた田舎言葉。二度目は弟の方も純粋な田舎言葉ではなくなってきているし、兄貴の方はさらに田舎言葉は薄れているはず。その演じ分けをしなきゃならない。こんな難しい噺はとてもできない。」と言っている。
かつて落語はこのように聴かれたのだろう。職人は職人らしく武士は武士らしく、商人も大店の主人から番頭、棒手振りに至るまで、きれいに演じ分ける。それを見事だと見分けられる観客が存在したのだ。
志賀直哉は太宰治の『斜陽』を読んで、「貴族はこんな言葉遣いはしないよ」と言った。それを伝え聞いた太宰は荒れ狂い『如是我聞』というエッセイを書いて志賀を攻撃した。本物の上流階級である志賀に、地方の新興資産家の家に生まれた太宰が痛いところを突かれたといったところか。
しかし、本物の貴族言葉ではない『斜陽』は、没落する貴族階級の悲哀を余すところなく描き、本物の貴族言葉を知らない戦後の読者に圧倒的な支持を受ける。
談志の『鼠穴』も、文楽に言わせれば、肝心の描き分けはできていないのかも知れない。でも、私は(そしてきっと太田光も)この談志の『鼠穴』にやられたのだ。三遊亭圓生のような華麗な『鼠穴』ではない。これは生の人間の業がぶつかり合う『鼠穴』である。
私にとっては桂文楽の『締め込み』に匹敵する、思い出の演目だ。次回、もう少し詳しく書いてみようと思う。

1 件のコメント:

半九郎 さんのコメント...

こんにちはヽ(^0^)ノ
初代風柳の尾島です
ひょんな事で貴方のブログを発見しました
落研の事、落語のはなし、楽しく読ましてもらいました
何か有りましたら連絡しますので、よろしくお願い致します

ojima20012001 さんのプロフィールを表示 »